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ドーハラウンド決裂の痛手=2国間交渉で混乱収拾目指せ

2006年8月2日付け

 【エスタード・デ・サンパウロ紙二十六日】世界貿易機関(WTO)のドーハ・ラウンド(新多角的貿易交渉)の決裂は、決裂であって終焉ではない。多国間交渉を再開しても、多くは望めないということに過ぎないとコラムニストのミング氏がいう。
 自由貿易と市場開放について興味のある人は、原点に戻って観察してみよう。スイスのジュネーブに本部を置くWTOは一九四七年、第二次大戦の廃墟の中から生まれた。一九九五年まではGATT(関税と貿易の一般協定)と呼ばれ、国際間の通商問題を討議する場所であった。
 一九八六年にウルグアイ・ラウンドが市場開放に向けて立ち上げられ、GATTはWTOへ衣替えした。ドーハ・ラウンドは二〇〇一年、農産物市場開放のために立ち上げた。農産物における最大の難点は、生産と販売に先進国が交付する補助金である。
 先進国が生産者に供与する農業補助金は一日当たり一〇億ドルに上り、国際市場での販売価格を歪め、不当な競争を強いた。そのため資金力のない途上国は、農産物の輸出で窮地に立たされた。WTOは、農産物に賭ける途上国にとって結束の場所となった。
 ブラジルの音頭で途上国二十カ国が二〇〇三年、G20を結成し、対先進国交渉で頑強に抵抗した。それまで悠長に構えていた米政府は狼狽した。米国のファスト・トラック法(議会が条約締結を大統領の判断に一任する法)が〇七年六月に期限切れとなり、ドーハ・ラウンドの手続き時間がないためだ。
 ドーハ・ラウンドの挫折は、ルーラ政権にとって痛手である。FTAA(米州自由貿易地域)や対EU交渉などの通商交渉を棚上げにしてドーハ一本に賭けたからだ。平行会議で三〇〇件の取引が決着し、あとは最終決着を待つばかりになっていた。靴や家具などでブラジルは取引市場を他国へ譲り、農産物で大市場を得る計算であった。
 表向きは多くのメーカーが、為替差損で輸出が後退したと思っている。しかし、実際は罠にはめられ市場を奪われたのだ。本舞台で敗走し、裏舞台でも敗北したのだ。国際金融は、裏の動きもつぶさに観察している。海外資本はこれで流れが変わる。
 ドーハ・ラウンド決裂は、本会議と平行会議での努力を徒労にし、国際貿易で図り知れない混乱を招く。このような状態を海外ではスパゲッティと呼ぶ。これまで休止状態にあった二国間交渉を急きょ再開し、スパゲッティを食べられるように備えることだ。