【エスタード・デ・サンパウロ紙二十三日】ブラジルの民主主義には二つの顔があると、歴史学者のジョゼ・M・カルヴァーリョ氏がいう。一つはマスコミという民主主義であり、世論という名前で発表する二一〇〇万人の意見である。有権者の一六%を占め、高卒以上の学歴があり、新聞の購読者でもある。
もう一つは一億四〇〇万人の有権者が一票で見せる国民の声という民主主義である。汚職には反対だが、それよりも日々の糧がもっと重要だ。毎日の生活が精一杯で、政治のことはバールでビールを飲みながら耳にはさんだ政治談義位しか分からない。民主主義がいう選択の自由とは、金持ちだけに与えられた特権だと思っている。
二つの民主主義は、ラテン・アメリカのジレンマでもある。たとえばベネズエラのチャベス大統領は、第一の世論を無視して国民の声に立脚した民主主義を採ったのだ。二つの民主主義が並存するブラジルにいると、そのカラクリはよく分からない。
メルコスルを政治の場にしようとするチャベス大統領は、何をするつもりか。自由には、チャベス大統領のカラクリを可能にさせる政変のリスクがある。ブラジルに民主主義が根付くためには、第二の国民の声が第一の世論に代わる必要がある。それから民主的な選挙が可能になる。
それまでブラジルの民主主義は漂流する。例えばネオポプリズムの生活扶助金制度が社会政策と思われている。これは単なる補助金による大統領選の票買収行為でしかない。労働の奨励と組織化は含まれていない。この補助金は、温情主義と馴れ合い主義で有権者を痴呆化する。
この社会政策は生産者を育てず消費者だけを生み出す。また政府の御情けにすがる無気力人間を、選挙地盤に取り込むだけである。そして国民が盲従する衆愚政治か、マキャベリズムを企んでいるかどっちかだ。
伯の民主主義に2つの顔=世論より有権者の一票に力を
2006年8月2日付け