「歌謡大使」として八十五日間におよぶ無償の南米公演を行った、歌手中平マリコさん(48)が、三日の帰国を前に来社し、コロニアへの感謝の想いを述べた。今回の南米公演には母親の芙早恵さん(76)が同行。〇四年の四十五日間十一回公演、〇五年の五十九日間二十八回公演から大幅に日程、回数が増え、今回は八十五日間五十九回の公演をこなした。
「まだまだ未知な部分がたくさんあります。自分が不可能だと思ったことが、ブラジルでは挑戦して可能になるのがうれしい」。
日本でのハードなスケジュールをこなして、そのままブラジルへ。着伯当初から風邪をひき、咳きがひどかったという。「どうなることかと思ったけれど、歌い始めると鼻水も咳きも止められる。やればできるんだと思いました」。
「日本ではきっちり下準備、段取りをしてそれを実行する。そしてできて当たり前。ところがブラジルでは、一回のリハーサルしかしなくても、本番にはきちんと合わせてできる。皆が一つになる力が強いと感じました」。
五十九回の公演のうち、半分は初めて訪れる移住地。カンピーナス、アラサツーバ、リンス、サンセバスチャンなど。「去年行ったところでは、私の公演の手順をちゃんと覚えていてくれるし、初めてのところでも皆さん、ものすごく気をきかせてくれて」と、各地での歓迎ぶりを喜んでいた。
今年は日本祭り、芸能祭にも参加。TVバンデイランテスの取材も受けた。
ロンドリーナ公演では笠戸丸移民唯一の生き残りである中川トミさん(99)も来場。中平さんが花束を渡した。また、ロンドリーナ市長、赤間学院などから感謝状を受け取った。
訪伯前、四月二十九日に旧神戸移住センターで行われた移民祭に参加し、「渡伯同胞送別の歌」を在日日系人とともに歌った中平さん。南米公演中に、各移住地で、センター保存のための署名活動を行った。
自身が肩に障害を持つこともあり、厚生ホームや身体障害者施設など八施設を慰問。「痛い体でもここに来ることで、生きる勇気を与えてもらってる」と話し、「何もいわなくても、病院の手配をくれたコロニアの方々の気配りには感激しました」と、ブラジルでリハビリを学んでから帰国する。
中平さんは「数多くのコロニアを廻るにつれて、どこにいっても、ブラジル社会の中で日系が大事にされていること」を実感。帰国後には、ブラジルでのつながりから、新潟や沖縄での公演、デカセギ向けの公演などの話が持ち上がっている。
日本からブラジルへ来て、今度は逆にブラジルから日本へと活動が広がり、「歌謡大使」活躍の場は尽きない。
真っ黒だった髪に栗色のメッシュを入れ、「日本に帰ったらブラジル人になったと言われるかしら」と嬉しそうに話し、「来年も皆様にお目にかかれるまで練習をしてきます」と何度も離伯を惜しんでいた。
85日間に59回公演=南米で3年間=連続記録更新=未知な自分を発見できる=マリコさん、感謝し帰国へ=自身が障害持つ身=施設訪ね勇気もらう
2006年8月2日付け