三十年ぶりに再会するというのはどんな気分なのか。一九七六年の県費留学生研修生の三十周年を祝う同期会で来場者にそう問うと、「見かけは変わったけど、気持ちは三十年前と一緒」との答えだった。みなが口々に「日本での一年間が自分の人生を変えた」というのを聞き、留学制度の重要性を改めて感じた▼「あの頃、日本に留学して帰ってきたら日本企業に入るのに有利だった」「まるでダメだった日本語を憶えて帰ってきた」「あのときの経験があったから日本人と結婚した」など、肯定的に振り返る言葉が次々に聞こえてきた。日本に対する良いイメージを持った次世代が育つことの重要性、新世代を教育する上で県人会が果たす役割が大きいことを今更ながらに考えさせられた▼当時は訪日前に文協で一カ月間の事前研修を受け、一緒に飛行機に乗ってロサンゼルスやハワイを経由して現地見物をしながら行ったという。さらに夏と冬の二回、全国から集まり研鑚した。今よりゆとりのある研修だったようだ▼デカセギという三十万人もの流れが発生している。だが、移民労働者として社会の底辺に組み込まれるのでなく、日本社会の上辺を体験するという意味で、留学は別物であるとしみじみ思った▼残念ながら、各県は県費留学生研修生の予算を減らす方向になっている。しかし、日伯21世紀協議会では〇八年から毎年百人ずつの青年を行き来させる交流事業をするという。百周年を機に、次の三十年の日伯交流を支える人材を育てて欲しいと切に思った。 (深)
2006/08/03