「日本国籍があればすぐにでも行けたのに、(ブラジルに)帰化しているために三週間もかかる。それで、親や兄弟の緊急時に駆けつけられない人がたくさんいるんですよ」。
現在、移住後ブラジルに帰化した人たちの母国籍復活に向けた署名活動が行われている。活動の発起人は石井久順さん(ブラスビア旅行社社長)。七月三日、在サンパウロ総領事館宛てに嘆願書を提出。県連主催の日本祭りで署名活動を行った。また、同月二十九日にはマリンガで活動し、これまでに集まった署名者数は約七百七十人。
「多くの知り合いがこの問題に悩んでいる声を聞いた」。石井さん自身もブラジルに帰化したことでの困難を抱えている。「海外日系人の投票(在外投票)もできるようになったし、日本人としての誇りがある」。
六〇年代、契約の就労期間を終えた移住者が、独立農として土地を購入する際にブラジル国籍が必要だった。このために、コチア産業組合、南伯農業協同組合、産業組合サンパウロ中央会などが中心となり、集団での帰化が行われた。石井さんによれば、当時帰化した人は一万四、五千人。
「帰化人は今、七、八十歳前後で収入がないため、所得証明のために子供の名前を使わなくてはならない。経由地のアメリカビザも必要になる。申請費用に加えて、奥地からサンパウロに出てくる手間や交通費、ホテル代などもかさむ」とその苦労を訴える。
署名活動の反響は大きく、石井さんのところには毎日のように問合わせがくる。
署名活動に協力をしている県連顧問の網野弥太郎さん自身も帰化人。「ブラジルの将来を信じて帰化したわけだけれども」と過去の苦渋の選択を振り返る。
「どれだけポルトガル語のできる人でも、ここの大学を出て商売をしている人でも、年を取るにつれ、日本人のまま死にたいという思いが強くなっていく」。
網野さんも「つくづく自分は日本人だと、思う機会が増えてきた」と渡伯以来の五十年を振り返り、国籍に込めた強い想いを語った。
在サンパウロ総領事館は、「この件に関しては何ともいえないが、関係機関に対して署名活動を伝えることはできる」という。
これまでブラジルに帰化した後に、日本国籍を復活させた例はあるが、そのためには、(1)日本に五年以上居住していること、(2)成人であること、(3)素行が善良であること、(4)生計が保証されること――の要件が満たさなくてはならない。
これらの要件は、一定の事情で緩和され簡易帰化もできる。様々な条件があるので、詳しくは総領事館が問合わせに応じている。ただし、簡易帰化でも、日本に行かなくてはならないという制約は同じ。
「日本に行くことなく、国籍を復活できないのか」ということが署名活動の要望だが、在サンパウロ総領事館国籍担当の佐藤博文副領事によれば、「現行法ではそのような措置は難しい」。国会での法改正か特殊法の成立が必要となる見通しだ。
石井さんは、県連の協力を得て署名活動を続け、来年の初めには総領事館に提出したいとしている。
日本国籍回復を!=署名者すでに770人
2006年8月4日付け