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■ひとマチ点描■100年目の〃再訪〃

2006年8月4日付け

 「昔の写真を見ると、厳格そうなイメージです」と話すのは、第二アリアンサ慶祝訪問団に同行して鳥取県から来伯した明穂尚基さん(17)。
 戦前に海外興業移民部長、ブラジル日本人会会長をつとめた明穂梅吉氏(一九五三年没)。鳥取出身で、笠戸丸以前の一九〇六年に渡伯した、同県ブラジル移住の草分けだ。
 尚基さんの祖父が、梅吉氏の息子で初代鳥取県人会長をつとめた明穂実氏の弟。つまり梅吉氏のひ孫にあたることになる。
 先祖の歴史を最初に知ったのは小学校の時。両親に聞いて、学校の自由研究の課題に選んだ。「あの頃はブラジルの知識がなかったから。『よく何十日もかけて行こうと思ったな』という気持ちでした」。中学校に入り、県中南米移住史編纂委員で今回いっしょに来伯した小山富見男さんと知り合い、高校三年生で初めてブラジルを訪れた。
 滞在中には明穂実氏の子孫にも会った。日本で作ってきた家系図を渡したという。第二アリアンサ入植八十周年式典にも出席。日本語が飛び交う会場で、「日本以外の所にいて、こうして生活しておられる人がいる事を感じた」という。
 曽祖父の暮らした土地を、渡伯から百年後に子孫が訪ねた今回の旅。「(梅吉氏に)『世話になった』と言ってくれる人にも会いました」と尚基さん。「皆のため一生懸命だったんだな、と思いました」と話していた。
 高校ではサッカー部のゴールキーパー。一日に帰国すると聞いたが、もうひとつの目的、ブラジルでのサッカー観戦は実現しただろうか。(ま)