坂川オノフレさん(82)の自分史「望郷の桂植民地」―両親が辿った道そして私達の今日までの歩み―が、十日、日毎叢書企画出版社から発行された。坂川さんは、一九二四年桂植民地生まれの二世、自身を鼓舞して、およそ三年費やして日本語で書き上げた。米田芙美子さんに翻訳してもらい、この自分史は、はじめから日ポ語完全対訳である。子孫に残そう、読んでもらおう、という強い望みがうかがわれる。普通、自分史は日語版が出てから、機会があったらポ語にも、という著者が多いが、できあがった段階で日ポ語両方というのは珍しい。坂川さんは「移民の子として私と同じような人生を送った人は多いでしょうが…」と書いているが、けっして「並み」ではない。大いに波瀾万丈の半生である。
『望郷の桂植民地』はB6版、日本語八十六ページ、ポ語七十ページ。このほか、二十七ページにわたり、写真がふんだんに使用されている。
坂川さんは現在サンパウロ市内で「オーボス・ファルツーラ」社(鶏卵販売業)を営む。妻の悦子さんとの間に、子供五人、孫十七人、ひ孫一人ができ、幸せな毎日だ。とても八十二歳には見えないほど若々しい。
波瀾万丈の経歴は――両親のブラジル移住と私の出生、幼くして両親と死に別れ、三人兄弟がばらばらになる、伯父夫婦に引き取られる、坂川家の再興話、養父との確執、自殺を思い止まり家出を決意、親切な日本人に救われる、兄と卵屋商売、自宅建築、結婚、仕事順風満帆、訪日墓参。
書き記しておかなければ、しかもポ語にしておかなければ、子孫は「自身のルーツ」を永久に知らず、「坂川オノフレ夫婦」の足跡は子孫の記憶に残らないだろう。その意味で自分史は大切なものだ。
写真集「思い出のアルバム」では日本の親戚を紹介したほか、日本国内各地、海外はアルゼンチン、中国、韓国、ハワイ、チリ、ノルウエイ、ロシア、イタリア、ブラジル国内はノルデステ、アマゾナス地方の旅行の思い出写真がぎっしりつまっており、ポ語でしっかりと説明が行われている。生活に余裕ができてから、苦しかった時代の分を挽回して、余りあるほど楽しんでいることがわかる。
坂川は自己紹介としてつぎのようにいっている。「幼くして両親を失い、親戚に預けられて養育された身なので、ろくな勉強もしておらず、ただただ働きづくめ、少年時代も青年時代もなく、身を粉にして働くだけが生きるすべてだった。子供たちが一人前になってはじめて一息ついたありさまだ。健康には恵まれ病気知らずできたが、健康を維持できたのは我一人の力にはあらず、長年影のように連れ添ってくれた妻が面倒を見てくれたお陰だと気がついた」。
自分史を二世が日本語で書く=「望郷の桂植民地」自費出版=坂川さん3年かけて=「子孫に読んでほしい」=強い意識、日ポ語完全対訳
2006年8月12日付け