ニッケイ新聞 2006年8月19日付け
所謂―流行歌が生まれたのはラジオとレコードの普及によってであり、そんなに古いことではない。昭和の初めには藤山一郎が売り出し淡谷のり子や東海林太郎という名手・達人らが世の人々の心を奪い―恋の素晴らしさ―人生の儚さを歌いきった。戦後になると、並木路子の「リンゴの唄」に酔い痴れつつも、薩摩芋を齧りながら復興へと立ち上がり驚異の繁栄を築き上げる▼演歌のメロディ―は独特なもので仏教の声明(しょうみょう)の影響が強いの説もあるけれども、戦後では美空ひばりという天才的な歌手がいる。「独り静かに/飲む酒は」と寂しくも哀しげに歌うあの「悲しい酒」は忘れられない。世間では「ひばりは楽譜が読めない」の噂がしきりだったが、音符が読めないにしても、ひばりの歌唱力には誰しもが頭を下げ拍手もした▼美空ひばりが母を亡くした少女を演じた映画「東京キッド」が封切られたのは昭和25年だった。この主題歌の「右のポッケにゃ夢がある/左のポッケにゃチュウインガム/空を見たけりゃビルの屋根/もぐりたくなりゃマンホール」を口ずさみ元気に学校へ通った移民も多いのではないか。日々の暮らしは苦しい。けれども、夢を追って生きる力強さ▼サンパウロで公演したこともある美空ひばりが、多くの歌を残しこの世を去ってもう17年になる。それでも「柔」やアップテンポな「真っ赤な太陽」は歌い継がれ美空ひばりは語られる。そんなフアンと歌手が集まり明日の20日、文化協会の記念講堂で「美空ひばりデビユ―60周年記念―日本人の心の歌」が開かれる。どうぞご来観のほどをー。 (遯)