2006年8月22日付け
【ポルト・アレグレ発】南伯日本人移住はすでに市の歴史――。南伯日本人移住五十周年式典並びに記念碑除幕式が十八日、最初の公募移民がその一歩を記した港町、リオ・グランデ・ド・スル州リオ・グランデ市で行われた。州や市の関係者、クリチバ総領事館の萩生田浩次総領事、日系団体、近隣移住地からの代表者、姉妹提携を結んでいる滋賀県、石川県金沢市からの訪問団ら約二百人が参集、日本人移住半世紀の節目を祝った。
リオ・グランデ・ド・スル州への日本人移住は一九三六年に海外興業株式会社により行われているが、日本からの公募移民としては五六年、星子直隆氏の呼び寄せによる二十三人が初。
半世紀の節目を祝い、リオグランデ州の姉妹州県である滋賀県、ポルト・アレグレ市の姉妹都市である金沢市など、日本からも慶祝団が訪れた。
リオ・グランデ市は州都ポルト・アレグレから南へ三百キロ離れた港町。市内を流れるグアイーバ川に面した公園(Placa dos Pescadores)で開かれた記念式典は、来賓の紹介に続き、ペロッタス軍警鼓笛隊による日伯両国歌の演奏で始まった。
南日伯援護協会の鈴木貞男会長は、「南伯邦人入植が五十年を迎え、次世代も活躍していることは大きな誇り」とあいさつ。金沢市の近藤義昭収入役が山出保市長の祝辞を代読した。
滋賀県からは、十三人からなる友好使節団が同地を訪れた。赤堀義次・滋賀県議会議長は、八〇年に姉妹提携を結んだ経緯に触れ、将来の関係にも期待を寄せた。
萩生田総領事が小泉純一郎首相の祝辞を代読。州政府を代表して出席したルイス・ロベルト・ポンテ知事代理は、滋賀県や金沢市からの訪問団を歓迎、「その数が少なかったのが残念だが、移住者に感謝したい」とし、その勇気を称えた。
リオ・グランデ市のジャニール・ブランコ市長は、「日本人移民はブラジルの発展に大きく貢献した」と評価、「半世紀前、二十三人の日本人がこの港に着いたのは、すでにこの地の歴史の一部」と位置づけた。
会場では、和太鼓の演奏に続き、記念碑が除幕された。この碑は、同州を代表する造形作家、福家マウロ氏の設計によるもので、日伯二十一世紀協議会の日本側座長、河村建夫衆議が揮毫した「青雲の志」の文言が刻まれている。
▽ ▽
最初の公募移民二十三人のうち、この日は十人が式典に参加した。
五十年ぶりにリオ・グランデを訪れた原田三弥さんは、「日本に帰ったものもおるし、死んだものもおる。(一緒に移住した)仲間とまたここで集えたのは嬉しい」と笑顔を見せた。
同じく二十三人の一人、南日伯援護協会の事務局長を務める栗原隆之さんは、今回の式典準備のため奔走した。式典の後、ほっとした表情を見せ、「ここは五十年前とあまり変わらんねえ」と感慨深い表情で周りを見渡した。
五年ごとに開いている同窓会の世話人、東治男さんは、「二十五日に(呼び寄せ人である)星子氏の墓前に参り、翌日には今年白寿を迎えた夫人、嵩さんを囲みたい」と昔話に花を咲かせる予定だ。