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「いちゃりばちょーでー」で歩んだ80年=沖縄県人会=80周年夕食会盛大に=300人が先人の営み称える

2006年8月30日付け

 「いちゃりばちょーでー(出会ったら皆兄弟)」の精神をこれからも――。今年創立八十周年を迎えたブラジル沖縄県人会の記念夕食会が二十五日夜、サンパウロ市の同県人会館ホールで開かれた。県人会の前身、球陽協会の設立から八十年。歴代会長、長年の関係者をはじめ老若男女三百人以上が訪れ、節目の年を祝った。
 笠戸丸移民七百八十一人のうち三百二十五人を占め、ブラジル日本移民史とともに歩んできた沖縄県人。これまでは、戦争中の活動停止期間を引いた形で周年事業を行ってきたが、このほど、その期間を合わせ八十周年を祝うことになった。
 県人会の前身である球陽協会が創立されたのは、笠戸丸から十八年後の一九二六年八月二十二日。ジャーナリストの翁長ヒデオ氏の父、翁長助成氏が初代会長をつとめた。会員の相互扶助、新移民の世話などにあたったが、四一年、日本の第二次大戦参戦にともない活動を停止する。
 「在伯沖縄海外協会」として活動を再開するのは戦後の五三年。それに先立って四七年には戦災による母県の窮状を救うため、赤十字の協力のもとに「救援委員会」を組織、食料品や衣類、学用品などを送っている。
 七八年に現在の名前に改称。五十年代には全伯に六十以上の支部を数えたが、今年六月に発足したクリチーバ支部をあわせ現在四十四支部が活動。会員数は約三千家族に上る。
 「今私たちが何不自由ない生活を送っているのは先輩たちのおかげ。心から感謝申上げるとともに、親たちに教わった『いちゃりばちょーでー』『ちむぐくる(真心)』の精神をこれからも続けていきたい」。会冒頭にあいさつした与儀会長は、歴史を振り返り、県人会の八十年を支えてきた先人に謝意を表わすとともに、沖縄の伝統文化、習慣を守りつづける決意を語った。
 そして、七一年に県人会から分離したジアデマの沖縄文化センターとの合併が決議されたことを報告。「私たち二世、三世、四世はこれからも会を愛し、祖先の営みを続けていくことを約束します」と述べた。
 夕食会は午後八時に開始。上原幸啓文協会長、松尾治県連会長、志村豊弘聖北文化体育連合会長、神谷牛太郎サンパウロ市議などが来賓として訪れた。来伯中の西原篤一・在那覇ブラジル名誉領事も出席し、県人会に記念品を贈ったほか、同氏がブラジル沖縄県人移民百周年を記念して作詞作曲した「ふるさと沖縄音頭」を披露した。
 沖縄出身の上原文協会長は、ブラジル移住後、一九四六年にサンパウロに出た時、翁長助成・球陽協会初代会長が経営するペンソンに滞在し勉学に励んだ思い出を披露。改めて感謝の意を表わすとともに、苦労の中、子弟教育に情熱を傾けた先人を称えた。さらにポルトガル語で若い世代に向け、「一世が苦労をし、君たちを勉強させた。移民の先人たちの犠牲があって今があることを忘れてはいけない」と語りかけた。
 この日は、歴代会長をはじめ、県人会関係者約三百人が会場を埋めた。伊差川実・元会長の発声で乾杯。夕食を囲んでにぎわう会場では、八十年の歴史を振り返るスライドが上映されたほか、琉球舞踊、民謡などの芸能も披露され、十一時過ぎまでにぎわった。