[既報関連]パラグァイのイグアスー移住地で、八月二十四日に始まった第九回EXPO Yguazu 2006が、盛況の中で二十七日に四日間の日程を終えた。イグアスー市の人口は約九千人(日本人・日系人は約二百五十世帯九百名ほど)。その数倍に匹敵する来場者があったようだ。
この移住地は、パ国を代表する農業地帯のため、展示された最新式の各種農業機械が偉容を誇っていたし、乗用車も多数陳列された。
会場となった中央公園の真ん中にある野外劇場の上には〔1961 FERIZ 45ANOS YGUZAU 2006〕の大文字が並び、舞台では夜半近くまで民族舞踊や芸能が演じられて、満席の観客を堪能させていた。
日本文化を代表したのは岩手県が誇る鬼剣舞と和太鼓だ。鬼剣舞を披露したのは二世の若者たちだった。伝統芸能が移住地で着実に継承されていることを物語っている。和太鼓演奏の名手である澤崎琢磨・雄幾兄弟が指導する若者グループの「鼓太郎」(こたろう)と壮年の「鼓組」(つつみぐみ)は、四日連続で出演して万雷の拍手で迎えられた。
観客のほとんどは非日系市民だ。和太鼓演奏が移住地で定着した一面だ。澤崎一団は、毎年のようにブラジルやアルゼンチンからも招待されて公演する移住地の文化の顔でもある。これらの〃動〃に対して、日本人会サロンでは、女性有志による絵画や手芸品が展示され、〃静〃の文化水準の高さも存在感を示していた。
日本食コーナーでは日本人会青年部、サッカーチーム、ママさんバレーチーム、少年野球を支援する父母の会、岩手県人会、の五組がヤキトリ、焼肉、やきそば、ラーメン、寿司、日本ソバ、すきやき、つきたて餅、などを出し、深夜まで好評だった。
岩手県自慢の(ひと口)ソバ食い競争には複数の非日系人も進んで参加し、応援者が周囲を取り囲み熱気に満ちた。途中までは非日系挑戦者が優勝しそうな場面もあり、会場は興奮した。辛うじて日本人挑戦者が面子を保った。
今年はパラグァイ宮城県人会(松浦邦雄会長)の助言を受けて、ブラジル宮城県人会(中沢宏一会長)が協賛した大型七夕飾り十本が日本食コーナーを飾り、華やかさの中に新しい華を添えた(写真)。
イグアスー農協組合員が中心となって〇四年に発足したイグアスー養魚研究会(会員十七名、伊藤鷹雄会長・岩手県)が養殖した鯉、パクー、チラピアなどが会場で初めて公開された。沢山の生きた魚を見れるとあって、児童生徒や高校生らが次から次と生け簀を取り囲んでは歓声を上げていた。体重二キロ平均のパクーを即売したところ、この時期に販売できるまでに育った成魚が、四日間で全部売り切れるという予想もしなかった珍事が発生した。「困ったことになった」と伊藤会長は嬉しさをこらえて述懐していた。購入者の多くは非日系人だった。
地域で一般化している肉偏重の食生活に魚の摂取が増えることは、子供や女性の健康増進に役立つことにもなる。これもEXPO効果の一つか、「大豆の里」イグアスー移住地で特産品がまた一つ増える可能性が浮上してきた。
サンパウロ州ソロカバから来たという手代木美保枝さん(福島県)は「本当においしいわ」と鮮魚(パクー)の刺身を満足げに頬張っていた。養殖魚コーナーは来年もEXPOで賑わうことであろう。
七月二十九日付の本紙記事が一因となって、ブラジル日本都道府県人会連合会(県連)の関係者やアベ・ツリズモ(阿部忠司社長・本社サンパウロ)のグループがEXPO会場を訪れ、これに呼応してパラグァイ国内の近隣移住地からも知人らが集まるなど、国境を越えた交流も実現した。
EXPO Yguazuのマスコットは、帽子をかぶった愛嬌のあるSojita(スペイン語発音ソヒタ)、元気な〃大豆クン〃だ。Sojitaの横断幕が青空に映えてひるがえる中で、「住民同士の融和を促す」というEXPOの目的は〇七年・十回目へのさらに大きな、新しい可能性を秘めながら達成されたようだ。
見せた文化水準の高さ――盛況だったEXPO Yguazu 2006――仙台七夕飾り華そえる=名物になるか鯉など養殖魚=岩手のソバ食い競争も
2006年9月1日付け