2006年9月1日付け
「一世の人たちにも手伝ってもらい、滅私奉公の気持ちでやりたい」。ブラジル日本移民百周年記念協会で理事会相当の権限を持つ執行委員会の次期委員長に松尾治氏(県連会長)が決まり、九月一日午後五時から行われる執行委員会の場で発表される。三十日午後四時から、遠山景孝・同委員会広報担当、渡部和夫・協会顧問が話し合いを続けていた。協会内にある各委員会の見直し、戦後移民たちへの協力要請などが取り組むべき最初の課題となる。今月十一日から訪日する松尾氏は、「責任が重くなってきました。まずこれを頭に叩きこんでおかないと」と百周年関連資料を前に意欲を見せた。
停滞する百周年協会の動きを活性化させようと、執行委員会の新委員長探しに奔走していた遠山景孝・執行委員会広報担当、渡部和夫・協会顧問。先月二十九日、下本八郎氏に説得を試みたが、物別れに終わったのは既報の通り。(先月三十一日付け七面)
次に白羽の矢が立ったのは、同じ執行委員団体であるブラジル日本都道府県人会連合会長の松尾治氏。
今年六十八歳の同氏は一九五五年に十六歳で渡伯。日伯両語に堪能で南米銀行でブラジル各地の支店長、南米安田保険では社長を務めた。七月の県連日本祭りでは、十二万レアルの黒字を出した実績もあり、文協副会長の経験からコロニアの事情にも明るい。百周年回生の頼みの綱――。
三十日午後四時から、遠山、渡部の両氏は松尾氏を挟み込む形で説得を行った。
健康上の理由や多忙を理由に固辞していた松尾氏に、遠山氏は言った。 「一世の人間として言いたい。これは我々の最後のチャンス。二人でぶっ倒れるまでやろう」。
「遠山さんがそこまで覚悟しているなら」。二人は固くお互いの手を握った。
「断ることは出来るがそれじゃ何も変わらない。体調が悪いのに『百周年までは』って頑張っている人もいるしね…」と松尾氏。
「元々、加勢したい気持ちはあった。執行委員会が機能していないこともその理由も分かっていた」が、県連会長の職務に忙殺されていたことが積極的に関わることができなかった理由だ。
今月末から兵庫県で開催されるのじぎく国体の招待を受け、十一日から訪日する。福岡県人会長として地元も訪ねる。おりしも麻生渡・福岡県知事は全国都道府県知事会長で、海外日系人協会の会長でもある。
「いいタイミングであることは確か。責任が重くなってきました」。
この絶好の機会を受け、遠山広報担当は、「『委員長』という肩書きを『会長』に変えたほうがいいのでは」と対日本の目配りも忘れない。
「政治的なことは理事会に。委員会としては、今ある計画を再度検討し、実行することを第一に考えたい」。百周年の牽引役という大役に松尾氏は、自らを奮い立たせている。