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クリチーバ文協60周年=3百人が節目の年を祝う

2006年9月1日付け

 クリチーバ日伯文化援護協会(山脇ジョージ会長)は二十六日、クリチーバ市の同協会会館(Rua Padre Julio Saavedra,598,Uberaba)で「創立六十周年記念式典」を催した。
 約三百人が集まった式典には、元市長の谷口カシオ氏や原ルイ同市議会議員が来賓として出席。谷口氏は、クリチーバ市での六十年間が過ぎる日系社会の成果を喜び「優秀な頭を活かし日系人に政治的な活躍をしてほしい」と話した。
 山脇会長は、戦後日本語さえ使うのが、難しかった時代に団結しようと決意し、会を今まで保ってきてくれた先人たちに感謝するとともに、「各部門の担当者や日系社会の援助、理解があってこそ私たちが運営していける。今後、先輩達が現在を作ってくれたように、我々もより良い会、将来性のある会に結び付けていきたいと思う。またそれが義務でもある」と述べた。
 日本移民がクリチーバに移住し始めるのは、一九一五年。東京外国語学校出身の杉山英雄(千葉県出身)と英国船の船員だった松田新吾氏(福岡県出身)らの入植から始まった。
 四六年、ウベラーバ区に「日本の伝統を生かすこと」を目的として「友の会」が発足。その後、四九年に「クリチーバ市日本人会」が結成された。五九年には「クリチーバ連合日本人会」、六四年には「クリチーバ日伯文化協会」と名前を変え、六五年には福祉団体パラナ日伯文化援護協会を設立。同年十二月に州政府から認可を得ている。
 当日は、六十年という節目の年を記念し、会館敷地内と周辺に六十本の桜を植樹。新しく作られたサッカー場のイナウグラソンも行われ、十二時からは記念昼食会が開かれ、紅白歌合戦や太鼓が披露された。
 なお同協会では、今月、創立六十周年を記念したバイレやサッカーの試合、野球の大会も計画されている。