2006年9月6日付け
南米産業開発青年隊協会(牧晃一郎会長)五十周年記念大会が三日、文協ビル小講堂で開かれた。一九五六年六月九日のオランダ船ルイス号着伯からはじまった青年隊。全伯各地に散らばる隊員は今も、ブラジル社会の様々な分野で活躍している。式典には日本からの慶祝団を含む約三百五十人が出席。往時の思い出を振り返り、さらなる活躍へ向け、思いを新たにした。
産業開発青年隊は戦後の一九五一年、農村部の二、三男たちに建設や機械等に関する技術を教え、国の復興に活用することを目的として設立。そこから南米産業開発青年隊が生まれ、五六年の第一陣着伯から今年、五十年の節目を迎えた。
帰国、死亡した隊員をのぞき、現在同協会に登録している隊員は二百三十人。農業分野にとどまらず建設、土木、測量、通信などブラジル社会の各分野で活躍している。
式典には、来賓として西林万寿夫サンパウロ総領事、酒井了ブラジリア大使館書記官など日本政府関係者、在伯日系団体代表など多数が会場を訪れた。
日本からも、管井文昭建設産業教育訓練学校校長(全国建設産業教育訓練協会長代理)、光森徳雄産業開発青年隊OB会「朝霧会」副会長(長沢亮太・元建設省建設大学校中央訓練所所長代理)、朝霧会の木下正喜副会長(升の内三郎会長代理)などが来賓として出席。朝霧会からは合計二十人の慶祝団が来伯した。
牧会長は、「これからの時代、隊員である前に日系コロニアの中の一人の日本人としての姿勢もヒューマン性も要求される年代でもあります。豊穣の大地の中、コロニアの皆さんと共に、より豊かな人生観となおあせぬ人間味を享有し、日系コロニアの歴史の一ページの中を共に仲良く歩いていきたい」と挨拶した。
式典後に開かれた記念昼食会では、親睦を深める人、昔の思い出話をする人など、参加者は思い思いに懇談した。
パラナ訓練所で活躍を遂げていた青年隊八期生の小山徳さんは、「下元健吉さん(旧コチア産業組合専務理事)と青年隊を支援した久万浩さんは若い者が好きな方たちで、二人には本当に良くしてもらった」と当時の思い出を話してくれた。
その後、同ビルで行われたユバ・バレエ団による記念公演には約千三百人が来場、会場となった大講堂は満席となった。
弓場と青年隊の交流は、当時建設省技官で青年隊の生みの親であった長沢亮太隊長と弓場農場を創設した弓場勇氏との出会いから始まった。
七六年に青年隊一期生のサントス上陸二十年を記念して開催された記念大会でユバ・バレエ公演が行われた。これを機に、五年ごと催される記念大会でバレエ上演が行われている。
当日、大講堂サロンには青年隊のパラナ訓練所や、渡伯前の青年たちの写真パネルなどが飾られ、訪れた人たちは足を止めていた。
式典を終え、牧会長は大会前の磯中雄二大会委員長の突然の死去に対し、「全て、挨拶も任せていたので本当に参りました」と話し、「しかし、日本から来た方々の協力もあり、このように盛大な式典を迎えられたことに本当に感謝しています。今日まで皆さんの支援の元にやってこられたことを忘れず、心を新たに命の続く限り頑張っていきます」と感想を述べた。