ホーム | 日系社会ニュース | 不撓不屈で刻んだ70年(上)=パラグアイ日本人移住70周年=内外から1200人参集=慰霊祭で先人偲ぶ=ニカノル大統領も出席

不撓不屈で刻んだ70年(上)=パラグアイ日本人移住70周年=内外から1200人参集=慰霊祭で先人偲ぶ=ニカノル大統領も出席

2006年9月12日付け

 【アスンシオン発】忍耐、勤勉、結束で乗り越えた七十年――。パラグアイ日本人移住七十周年記念祭典が八日、首都アスンシオン南約三十キロにあるイタグア市の「セントロ日系」で開かれ、内外から集まった約千二百人が先人の苦労を偲び、日系社会の明るい将来を確かめ合った。パラグアイ日本人移住七十周年記念祭典委員会(委員長・小田俊春パラグアイ日本人会連合会長)主催。日本政府を代表して山中燁子(あきこ)外務大臣政務官、パラグアイ政府からはニカノル・ドゥアルテ大統領が出席、両国の友好関係が誓い合われた。記念切手も発行されるなど、地元日系社会はもとより、パラグアイ国内で日系七十年の歴史に光が当てられたようだ。
 午前八時半。パビリオンでは慰霊祭が執り行われ、約三百人が先人の苦労に思いを馳せ、菊で飾られた祭壇の前で一分間の黙祷を行った。
 初めに小田俊春祭典委員長が献花、一九三六年のラ・コルメナ移住から始まった同国邦人移住の歴史を振り返り、志半ばに倒れた開拓者たちの遺徳を偲んだ。
 「日系社会はパラグアイに花を咲かせ、実をつけたがその前途は安易ではない。皆の不撓不屈の精神で八十年、百年まで努力していきたい」と力強く誓いを述べた。

山中外務政務官
「誇りに思う」

 山中燁子・外務大臣政務官は小麦や大豆など農業面での貢献に触れ、「よき市民として官職も含め、パラグアイ社会に参画していることは、日本人として誇らしい」と賞賛。物故者に敬意を表したうえで、「日パ間は世界にも稀な友好関係にある。これからも一層緊密になることを期待したい」と締めくくった。
 在パラグアイ日本国大使館の飯野建郎特命全権大使、独立行政法人国際協力機構(JICA)の松本有幸理事、JICAパラグアイ事務所の斎藤寛志所長がそれぞれ献花を行った。
 パラグアイ日系老人クラブ連合会の三井波夫会長は、「不慣れな土地での開拓を日本人移民は忍耐、勤勉、結束で乗り越え、現在の日系社会の基礎を作った。先人の教訓をもとに養国パラグアイのために精一杯前進したい」と誓いを新たにした。
 日本(香川、高知、兵庫)、ボリヴィア、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルなど各国からの参列者は、それぞれの思いを胸に祭壇に花を捧げた。
 パビリオン正面にある国旗掲揚台で記念プレートの除幕式が行われ、パラグアイの大地に日系移住の歴史が大きく一つ、刻みこまれた。

一世、二世が力を合わせ

 会場となった「セントロ・日系」は二世を中心とした同名団体(約二百三十家族)のクラブ。一九九七年に万博基金の助成を受け、二十三ヘクタールの土地を取得、体育館や運動設備がある。小嶋紀博会長によれば、会員家族の憩いの場になっているという。
 「二世団体のホームグランウンドである『セントロ・日系』で開催することにより、一世、二世が力を合わせる式典にしたかった」と小田会長。
 パラグアイの日系人約七千人のうち、一世と二世の割合は半々。ブラジル同様、両者に隔たりが生まれているが、今回の式典をきっかけに一致協力しようという狙いもあった。
 「七十周年は一世主導の最後のイベントだと思っている。二世が本当に力をいれてくれた。いい形でバトンタッチできたのでは」と式典で笑顔を見せた。