2006年9月14日付け
パラグアイ日本人移住七十周年記念祭典委員会からの招待を受け、ブラジル日本都道府県人会連合会を代表して、式典に出席した松尾治会長だが、式典で名前も呼ばれず、当日夜に国外来賓を招いた晩餐会(同委員会主催)にその姿はなかった。十一日の訪日を直前に控え、隣国パラグアイ日系社会の節目の祝いに駆けつけたが、なんともやるせない格好となった。公務である会長のパラグアイ訪問について、原幸正県連事務局長は「知らなかった」と話し、事務局内部の連絡不備も明らかに。日本の外務省、高知、香川、兵庫各県代表者、近隣諸国の日系団体関係者が出席した式典。二年後に百周年を控えたブラジル日系社会の存在感はなかった。
ブラジル代表の不満
「名前も呼ばないなんて礼を失してますよ。招待されてブラジルから来ているんだから」。高知県人会の高橋一水会長は、憮然とした様子で話した。
同じく母県からの慶祝団に随行、式典に出席した香川県人会の菅原パウロ会長も「おかしいよね、(式典の進行などで)忙しくて、もちろん悪気があってじゃないだろうけど、ちょっとねえ…考えられないですよ」と苦笑いする。
松尾氏は県連の会長職に加え、先月三十一日に百周年執行委員長に就任、まさにブラジル日系社会を代表する人物といえる。
訪日前の過密なスケジュールを縫い、隣国パラグアイ日系社会の祝いの日に駆けつけたのだが、式典では名前も呼ばれず、来賓名簿にも名前はなし。なんともやるせない結果となった。
「百周年をアピールする絶好の機会だと思ってあいさつ文も用意していたんだけど…残念です」と松尾会長。
「受け付けも済ませ、祝儀も置きました。祭典委員会関係者にもあいさつしたんですけど…。やはり文協が代表機関という意識があるんでしょうか。日本からのお客さんの対応に大わらわでしたしね」。納得がいかないといった様子で「いい感じは持てなかった」と言い切る。
松尾氏訪パは予定外?
パラグアイ日本人移住七十周年祭典委員会の堀川満事務局長によれば、「松尾会長の訪問は予定に入っていなかった」という。
祭典開催前に両事務局で交わされたメールは式典一カ月前の一度のみ(八月九日)。出席を検討している内容のメールが県連事務局関係者から祭典事務局に送られ、「日程などまだ調整中ですが、決まり次第連絡します」と結ばれている。
これに対し同日、堀川事務局長は「招待者席の決定時期に入っているので、早めに名前、人数を知らせてほしい」との返信を行っている。
それ以降の連絡がなかったため、松尾会長の訪問は予定になく、来賓名簿に松尾会長の名前もなく、席も準備されていなかった。
「事前に分かっていたとしても、スケジュール上、午前に行われた慰霊祭で名前を読み上げることしかできなかった」と堀川事務局長は説明する。八月二十日に行ったリハーサルの結果、来賓の祝辞も最小限に留めたという。
ウルグアイ代表が記念式典で壇上に上がり、連合会へ記念品を贈呈したことに関して、「式典最中にそういう場を設けてほしいといわれました。もしブラジルからもそういう要望があれば、無理しても調整はしたと思う」。
式典プログラムは三十四回も練り直され、大統領の出席もあり、当日も大幅な変更を余儀なくされており、「こういうイベントでは色々と不備な点が出てくる。配慮が足りなかったことは申し訳ないというしかない」と理解を求め、「松尾会長には、改めて事情を説明したい」と話している。
松尾氏は訪日当日の十一日、本紙の取材に「我々も二年後は百周年という大きなイベントが控えている。国外からのお客さまに粗相(そそう)がないよう、用心しないといけないと感じた」と答えており、今回の経験を教訓として生かしていきたい考えだ。