不治の病は恐い。治療の術も無く懊悩の日々が続く。末期の癌もだし死を待つだけの暮らしはきつい。「20世紀のペスト」とも呼ばれるエイズ(HVA)も、そんな病気の一つである。80年代に発見されたときには、直ぐに完治のワクチンができるの意見もあったけれども、未だに抜本的な治療薬はない。勿論、延命効果の高い薬品が開発されてはいるが、HVAを根治するものはない▼そんなHVA感染者(患者も含む)に対して病院や医療施設が冷たいの報道があった。「厚い壁」や「共に生きる社会」は遠く―の見出しが派手に踊る。けれども、医師やその道の専門家ならば「拒否も当然」である気がする。先ず―。病人の治る見込みがない。点滴とかの末期医療だけが許された医療であり、医術の本来を尽くせない。勿論、HVA感染者にも手助けはしたい▼でも―である。この悪魔の病は輸血での感染もあるが、本質的には性の問題でもある。予防の方策はあるし、感染者(患者)の自己責任は重い。そうした被害者を軸にしたマスコミの報道は如何なものか。もっと感染者の責任を問うの記事があってもいい。自分の不始末をも社会や国に押し付けるのは「無頼の徒」であって健全な市民とは申し難い。こうした感覚を失ってしまったのが現在だとすれば―眞に寂しい▼最近の日本では殺人や暴行を受けた被害者の権益を守るの動きもあるし、加害者重視の観点を改めるべきは当然ではあるまいか。HVAも同じであり感染者(患者)の責任をも問う。この厳しさが無いと健康で明るい世の中はなく、すべてが世の責任の断末魔が響く。 (遯)
2006/09/26