2006年9月27日付け
スザノ福博村の入植七十五周年記念入植祭が二十四日、スザノ市イペランジャ区の福博会館で開かれた。五年ごとに行われている入植祭。村では三月十一日の慰霊祭を皮切りに、一年を通じて記念行事を実施してきた。その目玉となる式典当日は、同市内やサンパウロ市、近郊に暮らす村出身者など、約三百五十人がかつての故郷に参集。節目の喜びを分かち合った。敬老会もあわせて開催。また、七十五周年記念ビデオの撮影もこの場所から始まった。
「よくやってきた」。一九三一年に移住し、同年から現在まで福博で暮らす杉本正さん(89、北海道)は、にぎわう入植祭会場でそう感慨を表わした。
一九三一年三月十一日、福岡出身の原田敬太氏ら草分けの入植からはじまった福博村。コロニアの「文化村」として七〇年代の最盛期には約千五百人の人口を数えたが、現在の会員は約百家族。人口の流出と、治安の悪化に悩んでいるのが現状だ。
午前十時半からはじまった式典では、最初に先亡者へ黙祷。高木政親・福博村会会長は「歴代会長、役員、会員の協力が今日のよき日につながった」と謝意を表わすとともに、原田氏の入植から一大コロニアに成長した村の歴史を振り返り、「村会、婦人、青年会が三者一体となって住みよい福博をつくること、それが先輩諸氏へのお礼だと思う」と決意をあらたにした。
元福博村会長で現在は汎スザノ農事文化体育協会(アセアス)会長を務める上野ジョルジさんも祝辞。マルセロ・カンジード市長の代理として訪れたマウロ・ロドリゲス・バス副市長も、農業をはじめ村が同市の発展に果たした功績を称え、「これからも共に、スザノを良くし、国を良くしていきましょう」と祝福した。
続く敬老会では、白寿を迎えた森部トミさん(佐賀県)をはじめ七十五歳以上の高齢者七十一人に記念品を贈呈。また、村で今年生まれた乳児六人にも記念の品が贈られた。
森部さんは村で三人目の白寿。今も本や新聞を読むというトミさんは「食べることも楽しみ」と明るく話していた。
会館を背に記念撮影。昼食懇親会に続いて行われた余興では、村会の大浦文雄顧問が、一九四七年から続く福博の敬老会の歴史を紹介した。その後は、中国唐代の詩人白楽天がはじめたとされる敬老会の由来を説明。七十歳以上の六人を集めて宴を持ったという故事にちなみ、村会の高齢者六人が歌を披露した。
このほかにも、六〇年の敬老会で歌われた「福博敬老会の歌」を当時の女子青年会の女性が四十六年ぶりに歌う試みも。
その後も日本舞踊や太鼓、剣道など、村の文化活動が披露された。
最後に日本語学校の子ども十二人が舞台に上がり、「おじいちゃん、おばあちゃんへのメッセージ」と題して日本語の発表。「おじいちゃんと日本語で話せるよう勉強します」「いつかおばあちゃんの故郷に一緒に行きたい」など、各自が描いた祖父母の似顔絵を横に発表する姿に会場から大きな拍手が上がっていた。
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五年ごとに開かれている入植祭。七十五年の節目には、地元の人だけでなく、市内やサンパウロ市などから三百人以上が村に集った。会場のそこここで、数十年ぶりの再会を喜び合う姿が見られた。
会館の外には入植当時からの写真が飾られ、訪れた人はかつての自分や知人たちの姿に見入っていた。
前回、二〇〇一年の七十周年を上回る参加者。大浦顧問は「今回が『締めくくり』という気持ちもあったのではないか。電話での問い合わせに手ごたえを感じたし、ビデオの撮影があったことも大きいと思います」と嬉しそうな表情を浮かべる。
三十一年にはじまる福博の歴史。アマゾン移住の時期と重なることもあり、三十年代には北伯からの転住者も多かったという。
二十九年に第一回アマゾン移民としてトメ・アスー移住地に入った土居悟さん(81、スザノ市在住)も小学校時代の同級生と再会した。四六年、十九歳までの十一年を村で暮らし、今はスザノ市内に住む土居さん。「自分の気持ち、心が残っている故郷ですよ」と村への思いを語る。
「よくやってきたと思います」、この日敬老者を代表してあいさつした杉本正さんは、七十余年の感慨を表わした。にぎわう会場で「皆、年をとりました」と話す杉本さん。「皆、よく来てくれた。村を思ってくれることが一番うれしいです」と話していた。