一カ月半ほど日本へ行った。長期の帰国としては五年ぶりで、生活の物質的な豊かさに眼をみはった。スーパーにあふれる商品の多様さ、駅地下街の食品売り場の美味しそうな食べ物の数々に目がくらむ思いだった▼ブラジルで言えば、ごく一部の上流階級しかできない生活を日本国民の大半が享受している。これが先進国というものかと実感した。と同時に、その割に人々の表情は暗く、ギャップに驚かされた。世界六十億の民の、ごく少数しか享受できない豊かさの中で暮らしている状況を分かっていないと思った▼老後の心配、北朝鮮のミサイルや核実験、子どもの進学、家のローンなどで頭がいっぱいの人が多いように見えた▼また、日本滞在中に見たテレビ番組では「マグロが食べられなくなる」と大々的に警告していた。中国がマグロの大量買い付けを始めており高騰するかもしれないと〃恐怖感〃をあおる番組だったが、私は逆に「潤沢に食べられる状況自体が異常なのだ」と思わざるを得なかった。マグロが食べられなくて死ぬわけではない。そんなことをマスコミが大々的に問題視する状態が、世界的に見たらいかに異常かなことか▼サンパウロ市の道ばたにはトロンバがあふれ、メトロで物乞いをする乞食の演説を聴かない日はないぐらいだ。「自分が恵まれている」ことに気付かないほど不幸なことはないと、しみじみ思った一カ月半だった▼今日、ブラジルの守護神を祀るアパレシーダ大聖堂では百万人以上の巡礼が列をなし、豊穣な生活への敬虔な祈りを捧げていることだろう。(深)
2006/10/12