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県連「ふるさと巡り」=パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル=3カ国走破=連載(3)=環境取り戻し活動の植樹=イグアスー移住地で=「照魂」碑に献花

2006年10月14日付け

 二十四日午前十一時。国境を隔てる「友情の橋」を渡り、パラグアイへ入国。ここで残念なことに、参加者の一人がパスポートを忘れたため入国できなかった。
 入国後、「一レアルは約二千二百グァラニー」と説明をうける。「数字が大きすぎて感覚がつかみにくい」と笑い声がおこった。
 広大な農地を眺めながら、バスは一時間ほど走った。そして正午すぎ、パラグアイ、イグアスー移住地へ到着した。
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 はじめに同会所有の植林用地を訪れた。環境保護を目的とした植樹活動をするためだ。
 「ここを本来の自然の姿に戻したいんです」。一行を迎えてくれた福井一朗日本人会会長はこう説明した。話によれば、森林を伐採し、土地を開くことで同移住地は発展してきた。しかし今、世界的にも環境問題を考える時期にきており、その状況はここでも同じだ。
 この活動はイグアスー移住地「入植五十周年に向けた植林活動と環境教育」計画の一環。〇五年度の日本経団連自然保護基金の助成金を得て、今年五月ごろから移住地の有志が植林を始めた。今回のような合同植林は初めてだ。
 地元の農業組合もここから二十キロほど離れた原始林(九百ヘクタール)を保護区として管理しているという。
 ラパチョ(イッペー)やインガ、ウブラプタ、セドロ、クルパウ、クルパウナの六種類の苗から、各々が好みのものを選んで植えていく。どれも生長が早く、この地に昔から生える品種ばかりだ。
 苗の前には自分の名前と出身地を書いた名札をたてた。「大きくなーれ」―。神林義明さん(70)は、名札の下にそう綴った。まるで自分の子どもへの思いのようだ。青空の下にすくすく育つ姿を想像するように、優しく見つめていた。
 後日、日本人会関係者が台帳をつくった。この台帳には植樹した人の名前と苗の場所が記録されている。これでいつ来ても〃子ども〃と再会できる。
 「十年後、二十年後が楽しみ」――。今後の成長に大きな期待を込めた。
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 続いて一行は移住地の墓地を慰問した。淡い黄色が一面に広がる麦畑の隣りに墓地はあった。
 陽はすっかり上がり、強い日差しが照らす。Tーシャツからはじんわりと汗がにじむ。
 敷地内に入ると、高さ十メートルはありそうな慰霊碑が青空にそびえていた。十字架型で、中央の石碑には「照魂」とある。
 この慰霊碑は同移住地の入植二十周年を記念して、当時のパラグアイ特命全権大使の大鷹正さんの寄付で建てられた。
 この日夫婦で誕生日をむかえた江藤征支・キヌエさん夫妻と最高齢参加者の中野文雄さん(85)、天達団長が代表で献花した。一人ひとりが焼香し、先没者、二百八十人の冥福を祈る。
 慰霊碑を中央にして、入り口右手には、日本人移住者の家族墓地があった。日本人会の会員になると、一区画が分譲されるという。それぞれの家族ごとに墓石の形は違い、仏教式の墓もあれば、キリスト教式のものもあった。
 一行は先人の苦労を偲び、涼を求めるようにしてバスへ乗りこんだ。
 (池田泰久記者、つづく)

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