日本移民百周年の記念事業の一環として、日系の花卉生産者と生産者協会の代表者らが企画した「ブラジルに於ける日系花卉産業発展誌」編纂事業が始まっている。退官した大学教授をシニアボランティアとして迎え、全伯を舞台にした学術的な調査活動の体制を整えている。二十四日に来社した編纂委員長、平中信行さん(アチバイア・オルランジア協会会長)は「移民の歴史と同じようにブラジルの花の歴史も発展してきた。今こそ、記録に残しておかなくては」と熱っぽく意義を語った。
この七月、産業誌編纂のためにシニアボランティアとして来伯した坪井伸広さん(63)は、「花卉産業者が立ち上がり、百周年を契機にして、発展の影にある各生産者のたゆまない苦労と努力を記録し、後世に残したい」と意気込みをのべた。
すでに退官しているが、筑波大学大学院生命環境科学研究科の教授を務めていた。農業経済学や協同組合論の専門家だ。大学教授がシニアとして派遣されるのは珍しい。
ほったんは、二〇〇〇年にサンパウロ市近郊の日系花卉産地を訪問してまわった鶴見久男氏(元東京都農業試験場)の「花卉消費が多様化し、生産者間の競争が激化し始めた現状を乗り越え、さらなる発展を目指すには、先達の事跡を知り理解することが貴重な手がかりになる」という提案だった。
ところが、平中さんは「花産業の発展についての記録は非常に貧弱」という。同委員会メンバーの高梨一男さんは「一世の花作りの古い人は、どんどん減っているので百周年を契機に記録を残さなくては」と意義を説明する。
産業としての花栽培の歴史は半世紀ていど。趣味として蘭などを扱う人は戦前からいたが、本格的な商品生産、産業化への動きが始まったのは五〇年代だという。産業として確立するのは七〇年代後半から八〇年代初頭。歴史が浅い割には、農業分野の中で急速な発展を遂げてきた。
現在のブラジル花卉産業について、平中さんは「南米の四、五カ国と比べても負けない」という。五〇年代には三十年先行していたとされるアルゼンチンを追い越すほどの勢いにある。
「半世紀前には見る影もなかったブラジルが花卉先進国の仲間入りを果たしつつある。その繁栄の過程には、日系の力があった」と平中さんは強調する。
編纂のための計画書では、すでにページ構成も細かく決め、資料収集、インタビュー活動が始まっている。
発展誌は全九章。花卉の種類、栽培技術の変遷、栽培家族・企業数と生産規模の変化などを記す。アンケート調査も実施して、生産者の意識調査も行う。
また、ブラジル花卉産業の全体像をさぐるため、リオやミナス、ペルナンブッコやセアラなどにも調査におもむき、日系人の果たしてきた役割や歴史を包括的に調べて記録することを意図している。
さらに平中さんは「花業界で盛り上がっているところは、ほとんどが二世、三世。投資をし、新しい企画をしているのは若い世代だ。ブラジルに残すということを考えれば、ポルトガル語への翻訳に力を入れていきたい」と考えている。
〇八年の出版を目指したスケジュールは忙しい。坪井さんは「花卉業界に関する情報を寄せてください」と呼びかけた。連絡は電話11・3288・4894まで。
専門家が花卉産業史を編纂=元大学教授、坪井さん=全伯で調査し08年刊行=日系農家の貢献を記録
2006年10月26日付け