【エスタード・デ・サンパウロ紙二十二日】マラニョンとパラーの両州で一九八九年から二〇〇三年にかけて、九歳から十五歳の男子四二人を殺害した「世紀の連続殺人鬼」の裁判が、マラニョン州サンジョゼ・リバマル市の地裁で始まった。裁判は一般から選ばれた陪審員制度のもとで行われているが、少年らの遺族一〇〇人以上が詰めかけ判決の行方を見守っている。裁判は検察側の物的証拠による立件と弁護側の精神異常の主張が、争点になると見られている。連続殺人事件として、世界犯罪史上でも五指に入る猟奇事件なだけに世間も注目している。
マラニョン州サンジョゼ・リバマル市で二〇〇三年十二月六日、一人の少年が失踪した。警察は少年が自転車修理のために立ち寄った修理店が最後の足どりだったことで修理工のシャーガス容疑者(三九)を問い詰めたところ、殺人を自供した。警察ではこの時点で、四二人の連続殺人事件の全貌解明で糸口になるとは、思いも寄らなかった。
同容疑者の供述によると、午前七時半ごろに店に来た少年を果物のアサイ取りに誘い、草むらで首を絞めて殺害した。死体をバラバラにした際に木の葉で編んだ入れ物に血を溜めて、死体を埋葬した場所に十字架を立てて、血をかけたという。少年殺害は「天からのお告げ」であり、この儀式も命令されたものだと語った。
当時同じように失踪した五人の少年を捜査していた警察当局は、同容疑者をさらに追及したところ、捜査陣も驚くほどの事実が明らかになった。同容疑者がマラニョン州で三〇人、パラー州で一二人の計四二人の少年殺害を自供したのだ。
手口はいずれも同様で、果物や野鳥捕りを名目に森の中や草むらに入り込んで殺害した。儀式も欠かさず行った。捜査陣が供述にもとづき死体の埋葬場所を発掘したところ、記憶違いで五〇メートル外れた場所があったものの大半は供述通りに発見された。
ロッシャ容疑者は一九六四年、マラニョン州カシアス市で生まれ、小学校を中退して修理工として生計を立てていた。裁判の争点は弁護側が主張する精神状態にあるが、裁判所の依頼で診察した精神鑑定医によると、事件の前後も記憶しており、異常は見られないとのこと。
ただ少年時代に祖父の使用人に性的虐待を受けた後遺症で、反社会的観念が異常に高いことから、このまま社会に放置すると、さらなる殺人を犯す可能性が高いとしている。
この事件は国内犯罪では史上最高だが、世界の連続殺人事件でも四番目に記録されている。トップは「アンデスの悪魔」と呼ばれ、コロンビアとエクアドルおよびペルーを股に掛けて三〇〇人を殺害したコロンビア人。次いで十五世紀にフランスで一四〇人を殺害したフランス人。さらにアメリカで一三〇人を殺害した別名「ドクター・キラー」となっている。
ブラジル国内では一九九一年から一九九二年にかけてニテロイ市での一四人。二〇〇二年から二〇〇四年の間にパッソ・フンドの一二人。一九七〇年のサンパウロ市で一〇人とそれぞれの殺害事件が発生している。
世紀の殺人鬼の初公判=少年42人を殺害=「天からの声」儀式も欠かさず=精神状態が争点に
2006年10月27日付け