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百歳万歳=二〇〇六年度百歳表彰=サンパウロ市=総領事公邸で伝達式=9人出席、かくしゃくと

2006年10月28日付け

 二〇〇六年度百歳表彰の祝状と記念品の伝達式が、二十六日午後三時からモルンビー区のサンパウロ総領事公邸で行われた。今年百歳表彰を受けた在外邦人は世界で五十四人。在聖総領事館管内の表彰者は二十二人で、世界の在外公館中もっとも多い。伝達式には九人の受章者本人(男性七人、女性二人)が出席したほか、代理、家族をふくめ約五十人が訪れた。名前を呼ばれるとそれぞれ前に進み出て、しっかりと祝状を受け取り、日系コロニア〃百歳〃の健在ぶりが発揮された式典となった。
 晴天に恵まれたこの日。総領事公邸に集ったのは、今年百歳表彰を受けた本人と代理六人のほか、受章者の家族ら約三十人。受章者本人は、百二歳の嶋田新治郎さん、百一歳の磯部正さんほか、今年百歳を迎えた(迎える)高山辰雄さん、上地弘英さん、大原綾子さん、丹羽義雄さん、森廣登さん、佐藤ツギさん、清水明雄さんの九人が足を運んだ。
 西林万寿夫総領事は、昨年の受賞者の参加が一人だったことをあげ「十人もの表彰者に来てもらえるのは本当にうれしいこと」と前置きし、「ご苦労、ご努力ののち、文化、習慣を超えて当国での生活を確立し、波乱万丈の人生を歩んで来られた。本人の常日頃の心がけと、家族、友人との付き合いがあってのこと」と、受章者の長寿を称えた。そして「再来年の百周年を皆様とともにお祝いしたい」とエールを送った。
 続いて、内閣総理大臣の祝状と記念品の銀杯が一人ずつに手渡された。表彰者は、家族の支えがなくとも一人でしっかりと歩き、総領事の前で一礼。祝状と記念品を受け取ると、深々と頭を下げていた。
 「今は非常に幸福です。これも子供たちの愛情のおかげです」と高山辰雄さん。現在もサンパウロ市サウージ区で一人暮らしをしている。六年前に妻を亡くしたが、子供六人、孫十四人、曾孫三人の大家族を築いた。「皆を大学にやれたことと、日本で間近に美智子様に会えたことが私の自慢です」。
 一九一八年に渡伯した高山さん。「困ったこともあった」が、戦時中、イタリア系ブラジル人が銃や他のものを隠し、かくまってくれたことを思い出して「排斥もあれば、日本人をひいきにしてくれる人もいてね」と笑みをこぼす。
 同じくサンパウロ市在住の森廣登さんは「私は苦労なんてしてませんよ」。四一年、戦前最後の日本移民船となった「あるぜんちな丸」で渡伯。ノロエステ線沿いの親戚のもとへ入植した。
 「二年目から借地で米を作った。よくできたので、『ブラジルはいいところだな~』なんて思った。百姓を少しして、お金ができたら家を建てたし::」。
 九十二歳までマリンガで住職を務めていた森廣さん。「健康であるってことが一番ですよ」と長男の秀夫さんはうれしそうに話した。
 この日は来賓として文協、援協、県連、アリアンサの日系四団体から代表者が出席。上原幸啓文協会長は乾杯のあいさつで、「百年間の人生観念を私たちや若い人に教えてください。この方たちこそ、日系の、ブラジルの、日本国の宝であります」と力強く話した。
 会場では受章者と家族が総領事夫妻と来賓を囲んで記念撮影。式典ののち、参加者らはひとときの歓談を楽しんだ。