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◇コラム 樹海

 三船敏郎と高峰秀子が共演した、四十数年前の古い映画「無法松の一生」を観ていたら、忘れた状態になっていた日本語が出てきた。無法松の台詞(せりふ)の一つだ。「あっしは、無学でケチな野郎です」。このケチは吝嗇(りんしょく)でなく、価値がないという意味だ。ポ語では、価値観の絡みもあって、絶対といっていいほど聞かない言葉である▼コロニアにも、あいさつでこれに類した言葉を使う人がいた。「わたしは浅学非才でありまして」と言った。いまでもまだいるかもしれないが、少数派だ。この場合は、本人はけっして浅学非才とは思っていない。つまりは、かっこうをつけたあいさつ用語みたいなものである▼こうした言葉が死語化していくのは、若い人たちが高学歴化したせいもあるが、それよりも「人間が変わった」せいだと思われる。無法松のような人がきわめて少なくなったのである▼ただ、いえるのは、より高等の学校への進学率が増えても、学歴が上がっただけで、人の質そのものが向上したり、学歴にふさわしいものが身についたわけではない。浅学非才だと自称する人が、実はそう思っていないと同様に、いま、私はケチな人間で、と言う人がいるとしても、案外逆なことを考えているかもしれない。自分に恃むところが大きい人である▼大多数の他人から、あの人はケチだと思われている人は、自分ではケチといわない。自身をケチといわなくなった風潮、これからもますます助長されていくことだろう。(神)

2006/11/17