若手日系人が中心に企画し日本文化を広く紹介する「JAPAN・EXPERIENCE―日本文化体験06―」が十八、十九の両日、サンパウロ市のUNINOVEで開催された。今年で二回目。ブラジル移民百周年の一環事業で、青年文協や青年会議所などの日系青年団体が主催。約六百人のボランティアが参加した。彼らボランティアは、日本文化の伝承と将来をどのように見据えているだろうか。何人かに聞いてみた。
「まずは日系人がこのイベントを通して一つにまとまることが大事」。代表を務めた青年会議所副会長の関谷ロベルトさん(30)はイベント開催の意義をこう述べたあと、「ブラジルの文化はたくさんの人種の文化が融合してできている。日本文化もその一つになるのは当然」と切り出した。
ブラジルでは最近、日本文化をもとに、アレンジはブラジル風という〃新日系文化〃が着実に普及している。マツリダンスやYOSAKOIソーランなどが代表例だ。
関谷さんはこの点にふれて「日本文化の形が変わるのは当たり前。将来はブラジル人が日本文化を伝えていくと思う」と続ける。そのためには「百周年を控えた今の時期に、自分たちの手で日本文化を紹介することが大事なんです」。
折り紙やひらがな、ひな壇などを紹介していたのはサンパウロ市リベルダーデ地区にあるピスコパル幼稚園の教師や卒業生たち。
そのなかで、家では全て日本語を話すという今本さゆみさん(13)は「できるだけそのままの日本的なやり方を残していくべき」と流暢な日本語で主張した。目標は日本に留学すること。将来は日語、ポ語を使った仕事につきたいと夢を語った。
沖縄文化を紹介する部屋では沖縄県費留学生・研修生OB会(通称うりずん)のボランティアら三十人が対応していた。三線(さんしん)や沖縄舞踊を披露したほか、琉球太鼓の展示コーナーなども設けて、多くの人の目を引いていた。
同ブースにいた仲地アウロラさん(29)は、空手歴二十年。日本で五年間働いたことがある。ボランティア参加の動機を尋ねると「私はブラジル人だけど、沖縄文化の紹介を通して自分のルーツを確認したい気持ちがあるのかな」。
日本からきた文化がブラジルの文化と混じるのは当たり前だという。日本文化をベースに味付けはブラジル風。「その方がいろんな人に広まっていく」。
とはいえ、祖父母が持ってきた日本の文化をそのままの形で残していくのも大事。「これからは両方を残す努力が必要ですよね」。
日本での研修・留学経験がある若者で組織される団体、アセベックスは、県や文部科学省、JICAなどの留学・研修制度を紹介する講演をひらいた。
元研修生の鈴木義広さん(27)は「自分は日本とブラジルの文化を知っている日系ブラジル人。形が変わっても日本の文化を伝えていきたいし、将来はブラジル社会に貢献できる人になりたい」と述べた。
会場には、書道、生け花、日本武道、踊りなどの実演・体験コーナーが用意されたほか、マンガやアニメ、テレビゲームを紹介するブースをフロア一面に並べる階もあり、日系、非日系を問わず多くの人で溢れた。
カタカナで自分の名前を一生懸命に綴っていた四十代のチリ人男性は、テレビ番組の紹介PRを見て家族三人で駆けつけた。この男性は「日本人はもっと他の人種の人と交流を深めるべきだけど、こういうイベントは楽しくていいね」と話していた。
開催二日間で二万一千人が会場に詰めかけ、盛況だった。
〃新日系文化〃――こんな「新語」がふさわしい=若者たちが取り組む=日本文化の紹介・体験=サンパウロ市内の大学で広く実践
2006年11月24日付け