[既報関連]パラグァイのイグアスー移住地で十一日、『太鼓の森』の植林が行われた。青少年で構成する「鼓太郎」、成人の「鼓(つつみ)組」、和太鼓制作の「太鼓工房」、三組織の関係者がカナフィスト、ラパチョ(イペー)、サムウ(綿の木)など七種類の苗木を植えた。植林作業を主宰したイグアスー日本人会から幸坂佳次理事(秋田県)と平野揚三事務局長(二世、高知県)が現場に出て指揮を執った。今回の特徴は、植えられた苗木に太鼓の声(音色)を聞かせたことだ。イグアスー太鼓工房で作られた和太鼓を現場に持参して、鼓太郎と鼓組が合同で演奏し(写真)、植えられたばかりの苗木たちの門出を祝った。和太鼓生産地ならではの発想で、南米大陸で他に類を見ない試みのようだった。
炎天の自然環境の中で響く壮大な太鼓の音色を苗木たちは心地よく感じたことであろう。苗木たちにとっては祖先の生の声だからだ。樹木には命があるので、志もあるに違いない。祖先から生の激励を受けた苗木の中には「大きな太鼓(の原料)になるように、より太く、より高く、伸びよう」という大志を抱いたものがあったであろう。その結果が出るのは半世紀も先のことであり、『太鼓の森』は未来に大きな夢を乗せているのだ。
もともと自然保護のための植林であり、植える者には杣(そま)の地にする意識は微塵もないが、太鼓の音色に対する苗木の反応は未知数であり、人々の興味を駆り立てる。
「鼓太郎」代表の柊本美代さん(二世)が「私たちが演奏している太鼓も木です。木を植えて、その場で太鼓を叩いて、とてもステキな気分でした。大きく育つように時々、激励に来ますよ」と抱負を述べれば、同僚の山下マルセロ君(三世、17)は「今日は暑い中でたくさんの木を植えた。これを機会にイグアスーの自然を守ることにも気を配っていきます」と自らの意識を啓発していた。 「(任期が)二年の間にこのような機会にも恵まれてとても嬉しい!木を植えるのがこのように大変なことも初めて体験した。良い思い出になりました」は、イグアスー移住地に赴任してすぐに和太鼓演奏に魅せらて「鼓組」の一員になったというJICA日系社会青年ボランティアの白石素子さん(大阪出身)の感想だ。日本語学校で中学一年生の担任をしている。
日本経団連自然保護基金(本部・東京)の助成を受けたイグアスー日本人会(福井一朗会長・岩手県)は「交流の森」「鶴寿の森」「子供の森」「青年の森」(本紙・十月三十一日報道)と今回を合わせ、五つの森作り、という今季の目標を達成したようだ。
助成を受けて手探りの中、去る五月にゼロから始まった植林に大きな弾みがついてきた。行動に自信を得た日本人会は来季もブラジルなど近隣諸国や日本からの大勢の参加を期待している。これも太鼓の声、か。
待望の「太鼓の森」誕生=パ国イグアスー移住地=植えた苗木に〃聴かせた〃=若者たちの太鼓の音色=炎天の下、未来に夢
2006年11月25日付け