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幸福とオカネの方程式=混乱する価値観=一定水準超えれば無関係=目的忘れ、手段に拘泥

2006年12月13日付け

 【フォーリャ・デ・サンパウロ紙十一月二十七日】幸福論についてオカネと優雅な生活の関係を経済学者のエドアルド・G・フォンセッカ教授に聞いた。オカネが幸福をもたらすのは、ある一定水準までである。それ以上は、幸福とオカネは無関係である。低開発国で各世帯の所得向上が家族に幸福感をもたらすのは、年間所得平均一万ドルまでという。ブラジルの為替率で換算すると、年間所得で平均七五〇〇ドル。それ以下の水準ならば、上手に快適な生活を取り入れる。それ以上や外国との比較で年間二万ドルを要求するのは、妄想である。
 以下は同教授の幸福論。
 【妄想という理由】快適な生活に必要な経費は、誰でも知っている。それ以上はムダ使いである。社会的地位が上がるにつれ、経費も増える。生活水準は国によって異なる。誰でも平均所得の倍の収入を得られる国を好む。快適な生活は、周囲との比較で決まるのであって、金額ではない。
 【幸福と時代】人々に幸福感について質問すると、時代によって変化する。戦争中は何でも喉を通れば幸福であった。白いご飯を食べると涙が出るほど美味かった。今ごろ涙を流してご飯を食べ、幸福と思う人はいない。
 【幸福の尺度】初めてヘリを購入したとき、地上の自家用車族を見下ろし優越感に浸った。今はみんなが、ヘリで通勤する。自分にできることは、誰にでもできるのか。そうではない。生存競争に打ち勝って、社会にさらに貢献できる人間になることも幸福ではないか。
 【幸福と環境】古代ローマでは民衆が欲しがっても得られないのに、自分だけが得られ羨ましがられることを幸福と定義した。近代資本主義は、消費財の入手と生活水準の向上を幸福感の基準と設定した。快適な生活とは米国文化に浸かることであって、幸福とは本質的に関係がない。
 【幸福と焦燥】現在は幸福についての価値観が、混乱している。若者は人生を賭ける職業選択に迷っている。社会の仕組みやシステムが分からない。それは未来が不確定で、決断できないからではないか。大学へ入って二年目には、勉学より研修を選ぶ。これでは中途半端である。幸福とは社会参加の場所を発見することだが、ブラジルではその発見が難しいのだ。
 【ではどうするか】若者は早く、貯蓄と財テクの習慣を身に付けること。平均寿命は年々伸び、八〇歳や九〇歳までも生きる。老後のために現在の生活の中に、未来の設計図を取り入れることが必要だ。
 【幸福と所得格差】所得格差は、オカネの価値観と使い方にある。所得格差とは生活の姿勢なのだ。現在ブラジル人の七〇%は、所得や年齢と関係なく幸福だと感じている。他人も幸福かと質問すると、七五%はノーという。自分の幸福と他人の幸福は、立脚点が違う。自分の幸福は、自分の心の状態をいう主観的世界である。他人の幸福は生活の状態で判断をする客観的世界である。誰も幸福の実体は分からない。
 【国民の幸福よりも国内総生産が重視される理由】主観的世界と客観的世界の間には、幸福感の比較法がない。特に上流社会では、所得が増えるほど幻想に生き、際限なく多くの所得を求める。これは先進国と途上国の比較でも同じことがいえる。個人の労働は競争力を高め収入を増やすことが目的で、何が幸福かなど眼中にない。友情は、出世のために有益かで取捨選択する。家族との絆、子供の教育、精神生活、義理人情も出世の物差しで測って是非を決める。出世の妨げとなるものは、親も子も恩人も道義も捨てる。これは、個人の生活や国家経済においても同じだ。