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リベルダーデ=3万から4万の人出=東洋祭り、もう38回目=市条例で〃幕広告〃できず=踊りと食べもので賑わう

2006年12月13日付け

 年末の風物詩、第三十八回東洋祭り(リベルダーデ文化福祉協会=ACAL=主催)が九日、十日の二日間、サンパウロ市リベルターデ区で開催された。広場中央に大きなステージが組まれ、周りには各県を紹介する幟(のぼり)が立ち並んだ。来場者は三万人から四万人(主催者発表)。大阪橋上には約三十のバラッカが立ち並び、両日とも多くの人でにぎわった。今年は雨に見舞われることもなかった。年々規模を拡大し、三十八年間の歴史を感じさせていた。
 東洋祭りは一九六八年に始まった。当時を知る人によれば、第一回は「橋の上にやぐらが立って、その周りで盆踊りをしていただけだった」という。現在では、週末のフェイラの人出も手伝って、毎年の恒例行事にまで拡大した。
 九日午後二時から、大阪橋たもとの鳥居で南米大神宮の逢坂和男宮司によって、祭りの成功と来場者の幸福を祈願する神事が執り行われ、祭りが始まった。
 開会式には、西林万寿夫在サンパウロ総領事館総領事、レナト・ブロイザー・セー区長、サンパウロ市議会を代表して、羽藤ジョージ市議、飯星ワルテル次期連邦下院議員が訪れた。
 ラジオ体操に続き、丹下セツ子太鼓道場の演奏、よさこいソーラン、傘踊り、阿波踊り、盆踊りなどが次々と披露され、リベルダーデ広場周辺は込み合う人垣ができた。
 大阪橋には、やきそばや寿司、天ぷらなどの料理と靴やマッサージのバザリスタが店を連ね、行列ができたところも。真っ白なバラッカが並べられた橋を振り返りながら、「前に見たときからするときれいになりましたよ」とサンパウロ移民史料館でJICAボランティアを務める小笠原公衛さんは話していた。
 祭りの二日目、前日以上の来場者を迎えて一層の賑わいを呈し、舞台上で太鼓やガイジンセンタイのショーが行われ、人を集めていた。
 デモライスさきえさん(69)は「近くなんだけど、初めてきました」。朝から踊りが披露される場所の近くで席を取り「ムイント・ボン」と笑顔を見せた。
 昨年までは店の名前や開催を祝う言葉の書かれた幕が飾られ、祭りのムードを盛り上げたが、今年は街頭広告を禁止する条例のために許可が下りず、中止に。急遽、各都道府県の位置や県庁所在地、面積などが描かれたのぼりが立てられることになった。
 「あまり派手ではなくなりましたけど」と池崎会長。「祭りが行われることでリベルダーデに人が集まるし、三十八回の伝統ある祭りを大きくして続けていくことは意義があって、やめられることではありません」と話した。