2006年12月20日付け
【ヴェージャ誌一九八四号】労働者党(PT)連立政権はこれまで、ブラジル民主運動党(PMDB)の親政府派のみの協力を得ていたが、これからは最大党の全面協力で連立を築くことになった。州知事レベルでは、選挙終了時の五州知事から一一州知事へふくれ上がった。
これまで親政府派と反政府派の野党に二分していたPMDBが結束し、テメル党首の支持宣言で、大連立政権は公式発表の運びとなりそうだ。同党の分裂は一九九四年、カルドーゾ前政権時代にもあった。PMDBの溝は前政権時代にますます広がり、大同団結は思いも寄らなかった。
ルーラ大統領の根回しは、ブラジル共和国の歴代大統領にとって不可能であったことを可能にした。絶対PTに組しないというPMDBの硬骨漢は、上議六人と下議九人となった。双方の対話は、ブラジルの民主主義ではなく世界の民主主義の流れだという。
ドイツでは一九八九年、東西ドイツの首脳がドイツ統一について話し合った。ブッシュ大統領はイラクへの武力介入を民主党と同じ机で協議した。こういう流れはこれから、ますます導入されるという。
ブラジルでは、役職を交換条件とする合流が珍しくない。PMDBは十一月二十九日、連立のための七条件を提示した。決選投票の前夜までアウキミン候補を応援していたテメルPMDB党首は、単なる票合わせの連立を嫌悪していた。
ところで、野党は一体どうなったのか。PTとPMDBの大同団結を決めた日、ブラジル民主社会党(PSDB)と自由前線党(PFL)の面々は、マット・グロッソ・ド・スル州でテベット上議の葬儀に参列していた。
大統領は同葬儀に参列した帰途、政府が最も強敵とするヴィルジーリオ上議(PSDB)を大統領機に便乗するよう誘った。機上では案に違わず、世界の民主主義の傾向が話題になった。ルーラ大統領とカルドーゾ前大統領がサシで、ブラジルの発展について話し合おうというのだ。
同じ山を登るのに登山口が違うだけだと言いたいらしいが、PFLはヴィルジーリオ上議の単独行動に憤慨した。前大統領もPTの政治手法では会談に応じる意思のないことを表明した。しかし、ネーヴェス知事は「PSDBはあくまで野党でも、現実離れした野党であってはならない」と妙な発言をした。