2006年12月28日付け
【東京支社】静岡県浜松市葵東で士道館児玉道場を主宰する児玉哲義さん(41)。空手・キックボクシング、ブラジリアン柔術など、格闘技を通しての、青少年育成活動が、大きく注目されている。
「世のため、人のために頑張る」をモットーに掲げている同館。「子供の頃は、喧嘩ばかりしていました。そんな私を心配した母が、空手をすすめました」―。サンベルナルド・ド・カンポ市生まれの日系二世である児玉さんは子供時代をふり返る。
十四歳の時、ブラジルの空手家・森山雅和師範の空手道場(士道館ブラジル支部)に入門した。技と共に武士道精神を学んだ。喧嘩することもなくなった。強い精神力と体力で頭角をあらわした。
十九歳で初段を取得し、ジャルジン・ベリタ道場責任者となった。二十一歳のとき、フォルクスワーゲン社の社員クラブのインストラクターに就く。
一九九〇年、二十五歳の時、空手修行のため日本を訪れた。その年、日本は入管法を改正し、日系三世までを就労者として受け入れた。在日日系人は増加の一途をたどった。
特に浜松は、日系ブラジル人の多い地域だったが、その子弟たちの環境は恵まれたものではなかった。
昼夜なく働いても豊かさにはほど遠い生活。親にかまってもらえない子供たちの姿があった。
いじめられたり、何をしていいのか迷っている青少年たち。犯罪や非行に走る諸要因が、幾重にも重なっていた。
児玉さんは、タクシーの運転手をしながら空手修業を重ねる一方、問題を起こした日系ブラジル人の通訳として、警察署や裁判所に通った。いつもブラジル人の子弟たちのことが頭から離れなかった。
空手家としても活躍、各大会で上位入賞する。しかし、三十三歳のとき負傷し、選手引退。その後は損害保険代理店や人材派遣会社を設立し、日系人ブラジルたちの就労問題と取組んできた。
二〇〇五年一月、私財をなげうって士道館静岡県支部道場を設立。空手道場とキックボクシングジムを開いた。開設の時には、サッカーのジーコ氏からメッセージと色紙が送られてきた。
児玉さんは青少年に空手を教える一方、自らも今年十月二十九日に開かれた全日本空手道選手権の「型の部」に出場し、準優勝している。
「非行、犯罪、いじめの芽をつみたい」という児玉さん。現在、同道場には、日本人のほか南米をはじめとする外国人が六十名近く通っており、空手、キックボクシング、ブラジリアン柔術などの教師とともに指導にあたっている。
十一月二十六日に浜松市の同道場で行われた第二回キックボクシング新人戦(静岡新聞後援)。会場には「二〇〇八年ブラジル日本人移民百周年」の横断幕に「父母、祖父母の苦労があったからこそ、今の私たちがある。感謝の気持ちを忘れずに頑張ります」との文字が大きく書かれていた。
会場では、多くの南米日系人たちが観戦し、声援が送られた。その模様は、同県のNHKをはじめマスコミで報じられた。「道場に通うようになり、子供が礼儀正しくなりました」という声が、多く聞かれた。