2006年12月29日付け
帰伯逃亡デカセギ問題は〇六年を通して、日伯両国の友好の影を落とす課題として常に話題となった。
〇五年十月藤本パトリシア容疑者との交通事故で、理子ちゃん(当時2歳)を亡くした山岡夫妻=静岡県湖西市=ら被害者遺族が中心になって、年明けから浜松の北脇保之市長ら関連機関への協力要請や、ブラジルとの犯罪人引き渡し協定締結と代理処罰実現を求める署名が始められた。
ブラジル静岡県人会もいち早く二月の定期総会で署名活動などに協力することを決議し、七月末の県連主催の日本祭りで実際に三千六百人分集め、最終的には約四千人分を日本へ送った。
四月、浜松市の北脇市長から伯日比較法学会に協力要請状が届き、数回の専門家による討議をへて、日本で起きた犯罪をブラジル刑法で裁く代理処罰をより簡便に実施できるようにする「司法共助協定」の原案を作成、九月に浜松ブラジル協会へ届けた。
九月、浜松市で犯罪人引き渡し協定に関するセミナーを開催。被害者遺族らが集めた署名約七十一万人分が十一月までに、三回に分けて外務省に提出された。
十二月末、再び静岡県で事件発生。焼津市で日系親子三人が絞殺された事件で、ネーヴェス容疑者がブラジルへ逃亡潜伏していると大きく報道された。
さらに、同十二月二十日に、最初の代理処罰裁判に必要な、ポ語に翻訳した証拠書類が日本から届き、新年一月にも起訴手続きが始まるとの見通しが明らかになり、進展をみせた。