2007年1月1日付け
平成十八年の皇室は「悠仁さまご誕生」という喜びに満ちた爽やかな一年であった。秋篠宮紀子さまが、愛育病院にご入院され帝王切開を受けてのお子さまご出産を、新聞は号外で報じ都民は歓呼の声をあげ竹の園の弥栄を祝った。皇室での親王誕生は四十年ぶりの慶事であり、秋篠宮さまから初めてのことである。天皇と皇后両陛下も大いにお喜びになられたと漏れ聞く。この男子ご誕生で国民の話題となり、大騒ぎとなった皇室典範改正の有識者会議が認めた「女性・女系天皇論」もここ暫くは遠のいたと見ていいのではないか。
皇室に関するもので騒ぎになったのは、元宮内庁長官である故・富田朝彦氏が遺した「メモ」を日本経済新聞がすっぱ抜いた報道であろう。昭和天皇が語ったとされるものを富田長官がメモしたものである。
昭和天皇が靖国神社参拝を中止したのは、所謂―A級戦犯の松岡洋右と白鳥敏夫(伊大使)が合祀されたのに怒ったためであるとの記事で、メデイアの一部はかなり刺激的に報じて話題となった。(松岡、白鳥両氏はA級戦犯として起訴されたが病死)。
富田夫人も、用紙もバラバラになっているメモを一度も読んだことはなく、ただ何となく知り合いの日経記者に渡したらしい。と、後日―評論家・上坂冬子に会って話している。従って「メモ」を公開し世論に訴えるというような意図はなかったと見たい。勿論、宮内庁は、「メモ」発表を遺憾とし学者や知識人からの批判も多い。現在も今上天皇は参拝していないが、靖国神社には勅使を差し向けている。いずれ政治外交的な課題から自由になれば、堂々と参拝し戦没した兵士らの御霊を慰められるものと信じたい。
なお、富田氏は警察庁警務局長から宮内庁次長に転じ長官になった人物であり、陛下のお言葉を私的に書き止めたものを軽軽しく公表するとは考え難い。遺言などに事細かに記していたのかは不明だけれども、少なくとも「公にはしない」が元長官の本意ではなかったかと「謎」は続く。このように皇室を取り囲む状況は必ずしも明るいものばかりではない。
皇太子さまの「人格否定発言」に対する秋篠宮からの苦言もある。雅子さまのご病気も皇室の暮らしに馴染むためのご苦労が大きな要因と耳にする。これは皇后陛下も同じであり、普通の市民から皇室入りした美智子さまも大変に悩まれたそうだし、古くから伝わる皇室の生活習慣のようなものに慣れるまでの心配りというものは想像を超えるものらしい。
一般の市民が皇室に嫁ぐのは旧来の慣習からすればまったくの異例であり、今上陛下と美智子さまのご結婚は画期的なことだった。皇室と国民の親近感を深めたばかりではなく、皇室も国民と共にあるの姿勢をこれほど如実に示した例はない。これは歓迎すべきなのだが、皇室関係者からは暗黙の圧力らしきものもあり、皇后さまも雅子さまもご苦心なされたの雑誌報道もある。
この種の悪弊は改善されるべきは当然ながら、永い皇室の伝統からすれば難しく簡単ではないのかもしれない。けれども、昭和天皇が人間宣言されてからもう六十年にもなるのであり、新しい皇室のためにも改めるべきは改めた方がいい。
とは云え平成になってから皇室が変ってきたのも事実である。今上陛下は先の大戦で戦場となった沖縄や硫黄島などを訪ね慰霊している。これは昭和天皇の時代にはできなかったことであり、もっと評価されていい。老人施設を慰問する際にも、皇后さまはお年寄りの手をとってやさしくお話をされる。これも昭和の頃には難しかったのであり、新しい皇室は平成から始まるような気がする。
このように皇室には肯定的なものがあるし、批判もなくはない。だが、こんなざわめきを吹き飛ばしたのが「悠仁さまのご誕生」であった。秋篠宮紀子さまが部分前置胎盤と診断され帝王切開を受けられたが、これも皇室では初めてのことである。民間の病院にご入院も初のことであって異例のご出産となったが、両陛下と秋篠宮ご夫妻のお喜びは格別であったし国民からは歓呼の声があがった。
皇位継承順位は皇太子、秋篠宮に続く第三位であり、ここしばらくは「女性・女系天皇」の議論は遠のいたと見たい。無論、宮内庁が指摘するように、皇室典範の改正論議は引き続き必要なのは云うまでもない。
その場合の焦点となるのは、皇室継承者に女性を認めるかどうかである。仮にこれが否定され現在の皇室典範にある「後継者は男子」となれば、戦後に廃止された六宮家(伏見宮、竹田宮、北白川宮、朝香宮、東久邇宮、久邇宮)の復活も討議されるに違いない。
ただし、有識者会議では、廃止になってから半世紀にもなり国民の納得を得るのは困難ではないかの意見が採択されているので議論が簡単に纏まるかどうかは疑問視せざるをえない。云うまでもなく、三笠宮寛仁さまは旧宮家の復活論を唱えているし、これを支持する人々がいるのも事実である。
もう一つ付け加えると、天皇が一夫一妻になったのは、昭和天皇の決断からであり、二千六百数十年とされる皇室の歴史からすれば、まったく新しいことなのである。明治天皇が中山慶子であり大正天皇は柳原愛子を母としたのであり、これが皇室の男子継承維持に果たした役割は大きい。 しかし、これを現在も認めるのは困難であり、なんらかの方策を考えなくてはならない。女性・女系を認める専門家もいるけれども、三笠宮寛仁さまの「男子継承が筋」の支持者も多い。衆参議員にも男子派がいっぱいおり議員連盟を結成し活動している。
過去を遡れば八人十代の女性天皇がおり皇室の権威をしっかりと守っている。だが、初の女性天皇となった推古天皇は崇峻天皇が蘇我馬子の手先に弑逆されたので、皇位を守るための「中継ぎ」の色合いが濃い。聖徳太子を摂政とし善政をしいたけれども、孝謙天皇(重祚称徳)のように怪僧・弓削道鏡とのよからぬ風評もあってあまり評判はよろしくない。
この八人十代天皇は、皇位にあるうちは独身であったし結婚もしていない。この辺りも大切なことであり、女性・女系を認めると保守系代議士が語る「アメリカ人の天皇になる」を危惧する人々も出てくるかもしれない。桓武天皇の母は百済系の高野新笠だったし今上陛下も、この歴史事実を語っておられる。従って欧米系の可能性をも完全に否定できないのが現状であって、代議士発言を冗談とばかり受け止めてはいけない。
皇太子さまは雅子さまの静養でオランダをご訪問になり治療効果も高いとされる。秋篠宮さまはパラグアイを訪問されブラジルから渡った老移民らと親しく語り合い励まされている。あれは故・宮坂国人氏が始めたことだが、あれから七十年が過ぎた今、額に汗し苦しみと闘った一世移民も秋篠宮さまから「頑張って下さい」の一言で労苦も消し飛んだのではないか。
今年は天皇・皇后両陛下の欧州へのご旅行も決まっているし、明るい皇室を築く第一歩としたい。(遯)