2007年1月5日付け
今年もめでたく各地で新年会が行われた。サンパウロ市では総領事館と五団体が共催で盛大に祝われ、鹿児島県人会はその場で十万円を百周年記念協会に寄付するなど、「百周年の準備の年」としてさい先の良いスタートを切った。レジストロでも約七十人が集まり、「立派な百周年に一致団結」を誓った。北パラナのロンドリーナ、ノロエステ線アラサツーバなど各地で祝杯があげられた。
サンパウロ市では一日朝十時から、ブラジル日本文化福祉協会の記念大講堂で行われ、例年より多めの約四百人が集まり、万歳三唱で新年の到来を祝った。当日は、鹿児島県人会から百周年記念協会に対し、十万円の寄付が行われるなど、さい先のよい百周年準備年となった。
同県人会の天達市雄会長が現金十万円の入った封筒を「一助になれば」と百周年協会の上原幸啓理事長に手渡すと、「一文、一文、百周年のために使わせて頂きます」と感謝の言葉を述べ、固い握手を交わした。
ニッケイ新聞の取材に対し、天達会長は「県人会の会計も厳しいが何とか捻出した。いずれ寄付するものなら、先頭切った方がいいと思った。これが呼び水になれば」と語った。
新年祝賀会ではまず、君が代とブラジル国歌が文協コーラス部のリードで全員が斉唱。同会は在聖総領事館、文協、援協、県連、日文連、商議所の共催。
続いて上原文協会長が亥年にちなんで「不退転の気持ちをもって、考えながら突っ走っていきたい」との抱負をのべた。百周年に関して「文協は昨年まで裏方だったが、今年からは積極的に参加していきたい」との決意を明らかにした。
着任以来二度目の正月を迎えた西林万寿夫サンパウロ総領事は百周年の準備に関して、「昨年は〃加速の年〃だったが、まだまだ課題が残っている。今年は〃仕上げの年〃に」との位置づけを語り、よりいっそうの奮起を促した。
松尾治県連会長の音頭で万歳三唱が行われ、会場を大サロンに移した。「年の始めのためしとて おわりなき世のめでたさを」。一月一日の歌が合唱され、援協の酒井清一会長が乾杯の音頭をとった。当日は紅白餅が三百個用意され、来場者に配られた。
また会場出口では、サンパウロ市在住の三分一光男さん(81)が「年賀お札」を今年も配布した。書面には「奉祝、謹賀新年、皇紀弐千六百六拾七年、平成壱九年元旦」と手書きされ、朱印が捺されている。
最初の百枚ほどは実際に手書きしたが「腕が動かなくなった」での、残りは手書き札をコピーして押印した。平成元年から初め、「好きだから」やっているという。
朱肉は二十四金の菊の御紋入りで、山口県人会から借用したもの。昭和六十年を記念して、天皇陛下が田中龍夫代議士(山口県出身)に下賜されたものを、縁のある県人会に贈呈してもらった貴重な一品という。
いよいよ一年に迫った百年祭。これからが準備の正念場だ。