2007年1月5日付け
新しい年が明けた。めでたいと思っている人も、そう思わない人もいるだろう。ところで、あなたは、今、何か満たされないものをかかえ、それについて文句を言いたいと思っていないだろうか。つまり、安心していない▼軍国少女世代の曽野綾子という作家は「(多くの人々が)安心して暮らせることを本気で期待するのをみると、変な気がする」と言う。今年七十六歳。戦争と、不平等と、生死の間を、社会的にも個人的にも体験してきた。だから、自身の周囲に「(ものが)ない」のが原型で、「ある」のはおまけ、というのだ。「ない」と思えば、日常生活を送る上で、不満などあるものか、そんな考え方である▼先年、ある朝、小紙編集部に突然電話がかかってきた。「(来伯した)そのあやこ、という者ですが」と名乗った。肩書らしいものを一切言わなかったが、すぐ作家の曽野綾子さんだとわかった。普通、人はこう行動しない▼問い合わせの内容は、北東伯のキリスト教団体に関することだった。答えられなくて恥じた。曽野さんは、海外の邦人宣教者活動を支援している。善意の個人の寄付を貧困者を助けるために日本人神父や修道女に使ってもらう。世界中泥棒だらけ、と言い、信用できる人にしかおカネを預けない。この態度がいい。浄財を途中でむさぼる者を許さない▼人にはもともと何もなく、あれば、それはおまけ、と思うのは、現在社会では困難だ。ただ、基本的にはそう思って新年に入っていきたい。(神)