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ウソとホントの真相=政治家の詭弁で社会は崩壊

2007年1月10日付け

 【エスタード・デ・サンパウロ紙七日】米哲学者のダヴィッジ・L・スミス氏は「人間は生来ウソつきで、ウソは社会生活の知恵」と表明したが、ブラジル人作家のジウベルト・M・クジャウスキー氏は真実が自由社会を築き、偽りは人類を奴隷社会へ引きずって行くと反論した。
 ウソつきの代表選手は政治家だ。ウソをホントのようにいうのが、政治家稼業である。政治家にとってウソは文句なしに都合がよい。上手なウソつきは人気があって成功者になる。見栄えもよいし、高給取りだ。ウソをいっていることさえ、意識していない。
 ブラジルの政治家は記者会見に当たって、ウソをべらべらといえる。ウソをいっても全く罪の意識がない。生まれることも成長することも、ウソみたいだ。人間社会の基礎がウソでできているからだ。米哲学者が、真実をいっていないことは明白である。
 人間があまりにウソつきなので、どうして真実がいえるのかと訴えているのだ。偽りをいう前には、必ず真実があった。犬の足は三本だという前に、足は四本という事実があった。酒には、美しい宣伝文句がつき物だ。宣伝文句は幻想である。酒呑みは酒と幻想を混合してしまう。
 こうして全てのウソは、幻想によってホントのように錯覚する。ウソは寄生虫のようなもので、ウソだけでは生き残れない。それで真実に寄生する。ウソが初めから社会の基礎ならば、社会から見抜かれていた。
 人間社会とは何か。社会とは、長期間にわたって共同生活をする人間の集団である。同じ価値観と文化の中で共通の生活尺度を持ちながら協調し合ってだ。ただ協調であって、合意によるコンセンサスではない。
 人間社会は本質的に競争社会であり、階級闘争や地域の反目など犬猿の仲で共同生活をしている。人間社会の協調は、コンクリートでいうならセメントである。セメントになる人間は、真実を語る者でなければならない。
 言うこととすることが違う人間、公約するが実行しない人間、言うことが無責任で信用できない指導者を迎えた国民は不幸である。このような指導者を中心とした人間社会は崩壊する。詭弁で塗り固めた国家は、分裂社会に発展する。
 分裂社会は徒党社会、犯罪の温床、国民は利己的、連帯感は全くない。行き当たりバッタリで、計画性がない。自国の問題を独力で解決できない国家になる。今日のウソは、明日の犯罪の言い訳となる。
 米哲学者に追随したのが、バイア州のワグネル知事。ヴェドイン文書で尾をつかまれた労働者党(PT)議員は、ウソをいう権利があるというのだ。政治家のウソとは、政治を小細工でごまかすことであり、有権者を冒とくすることである。