2007年1月17日付け
第一回ブラジル移民船笠戸丸で渡伯し、戦前に邦字紙「サンパウロ州新報」社主をつとめた故・香山六郎氏(一九七六年没)が所蔵していた写真がこのほど、家族からブラジル日本移民史料館に寄贈された。寄贈されたのは戦前から戦後にかけて撮影された写真約百十枚。中には笠戸丸移民の通訳としてサンパウロ州グアタパラ耕地に入った平野運平が香山氏に宛てた自筆の絵葉書もあるなど、百周年を一年後に控えた日系社会にとって貴重な史料寄贈といえそうだ。
このほど写真を寄贈したのは、香山氏の二女のジェニー・秋子さん(80)。サンパウロ人文科学研究所顧問の脇坂勝則氏の夫人であるジェニーさんはサンパウロ大学日本文化研究所で副所長をつとめた。昨年十二月に十二日、夫妻で史料館を訪れ、写真を寄贈したという。
サンパウロ州新報時代には「在伯日本移殖民廿五(二十五)周年紀念鑑」、戦後にも「移民四十年史」、「香山六郎回想録」(人文研発行、1976年)などの著書のある香山氏。寄贈された写真は、新聞や自身の著書で使用したものも多く含まれている。
平野運平からの直筆絵葉書はその中の一枚。一九一〇年前後にグアタパラ耕地から当時モジアナ線ジャタイ(JATAIHY)耕地にいた香山氏へ宛てたもの。裏面の写真はグアタパラ耕地に広がる一面のコーヒー園で「Fazenda “Guatapara” Sao Paulo-Cafezal de 800 mil Pes」と説明がある。
内容は、平野氏がジャタイ耕地を来訪する旨を知らせるもの。香山氏は自身の回想録でもこの絵葉書について触れ、絵葉書の写真も掲載されている。
当時グアタパラのコーヒー園は有名だったようで、同書でも「・・・グアタパラ耕地の総監督格の平野運平氏よりコーヒー園一目百万本の有名な絵はがきが私に届いた」と記述。続けて「そのうちに君の耕地に遊びに行く、君も来いよ。グアタパラ耕地カンナ園のピンガを一ガラフォン鉄道工事人に頼んで、君宛ジャタイ駅長に送っておいた、というのだった。一九一〇年末だった。ピンガは年明けて私の許に届いた(以下略)」と記している。
このほか、寄贈された写真には、一九二〇年代にプロミッソン・上塚植民地で上塚周平翁と自宅前で撮ったものや、「放浪時代」と書かれた若き日の姿、サンパウロ州新報創刊のためバウルーからサンパウロ市へ出る際に鈴木貞次郎と写した一枚、笠戸丸移民の〃生みの親〃水野龍・皇国殖民合資会社社長が戦後訪日する際の姿、戦後日本への救援資金を送るためサンパウロ市パカエンブー競技場で開かれた舞踏会での写真など、移民史的にも貴重なものが含まれている。
「史料館で所蔵写真の整理をしているというニュースを知り、何かの役に立てばと思って」とジェニーさん。写真は父親の死後保存していたものだ。そのうちの一枚、戦後サンパウロ市のトキワ食堂で行われた「移民四十年史」出版記念パーティーでの写真には、父とともに若き日の自分も写っている。「父が精力のある頃にがんばって作った記念史。記念すべきイベントでした」と振り返る。寄贈後の思いを尋ねると「コロニアの歴史の一面ですから、史料館でも大切にしてくれると思います」と話していた。
史料館学芸員の小笠原公衛・JICAシニアボランティアは「平野運平の絵葉書など、今回はじめてオリジナルの写真が出てきたものもあり、たいへん貴重だと思います」と喜びを表わす。寄贈後、絵葉書の文面の判読を続けていたという小笠原さん。「これから写真の整理に入りたい」と語った。