2007年1月23日付け
世は進み科学も医学も発展する。これまで不治とされてきたレプラもきちんと治療すれば治癒するようになったのは喜ばしい。産婦人科の不妊治療も進歩し、67歳のご婦人が堂々と赤ちゃんをご出産になりニュースになって世界に流れるし、あの子宮を移植する話もある。それもこれも「赤ちゃんが欲しい」からだろうが、子宮移植については反対論も根強い▼脳死した女性から子宮を取り出して移植するらしいのだが―「倫理的に如何なものか」と反対派はあまり面白そうな顔をしない。まあ―心臓移植もあるし子宮でも同じようなものだろうが、心臓は生命に拘ることだし、「子を産みたい」とはかなり事情が異なる。これはご高齢な女性の体外受精による妊娠・出産にも云えるのだけれども、「子が欲しい」の願いは桁はずれてしぶとく巨大なものらしい▼ここまでくると、医療技術の問題を飛び越えて難解で哲学的な領域になってしまう。生命に対する考え方や人生観と云ってもいい。子孫を産めないのは哀しいし寂しくもある。この辺の苦しみには同情もするし理解もできる。だが―である。脳死体からの移植となると、筆者は躊躇せざるをえない。もっと厳しくは、そこまでをも望むのは「わがまま」にすぎるのではないか―▼あまり好きな言葉ではないが「石女」は「うまずめ(産まず女)」と読み、こういう女性はけっこう多い。ちょっと軽蔑というか侮辱的な意味合いが強いのだが、そうした苦渋を乗り越え華やかに晴れ晴れと生きた女性はいっぱいいる。できれば―そんな芯の強い女性であってほしい。 (遯)