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コラム 樹海

2007年2月3日付け

 コロニアも移民がいなくなってしまいすっかり変わってしまった。とりわけて短歌・俳句・川柳という日本独特な短詩型が寂れてゆくような哀しみがある。恐らく―作句手帳を密かにポケットに隠し歌や句を捻り出す最盛期は60年代頃ではなかったろうか。勿論、邦字紙の読者も急激に減っているし、日本語による小説もかっての勢いはない▼短歌にしても俳句・川柳も、575に77と言葉が続くのが特徴であり、日本語の不自由な人々への伝承は極めて難しい。川柳も江戸時代のものは、今もって語彙の解釈がハッキリしない物が多いし、当時の暮らしを取り巻く習慣と鎌倉や平安の歴史をよく知らないと「江戸川柳」をきちんと理解できない。従って―よほど日本語が達者で文化にも通じている外国人でないと、こうした日本独自の文芸の伝承は困難ではあるまいか▼だが、こうした人々もいる。日本が統治した台湾では、現在も短歌・俳句・川柳を詠む人々がいる。「台湾万葉集」「台湾俳句歳時記」も出版されているし、「酔牛」という題の川柳句集も上梓されたそうである。これは文芸春秋の06年十一号に「山本五十六」の作者である阿川弘之さんが寄稿した「台湾の川柳」で教えられた▼勿論―台湾の歌詠み俳句と川柳好きは戦前の日本語教育を受けた人々である。だが、いかに親日家がいっぱいの台湾でも伝統的な日本の文芸を継ぐ人を育てるのは容易ではない。それにしても阿川弘之さんも紹介しているのだが「湯豆腐が満悦至極総入れ歯」「世界一イジメ甲斐あるクニ日本」の川柳は我々が忘れた立派な日本語が生きているのがいい。(豚)