2007年2月7日付け
被爆者援護法に基づく健康管理手当の一部を時効を理由に支払わないのは不当だとして、ブラジル在住の被爆者三人が広島県に対して未払い分約二百九十万円の支払いを求めた訴訟の上告審判決が六日、最高裁第三小法廷であった。同訴訟は手当の支払いを命じた今年二月の広島高裁の判決に対し、県が上告していたもの。藤田宙靖裁判長は「行政側の時効の主張は信義則に反する」として県側の上告を棄却、在伯被爆者側の勝訴が確定した。五年にわたった訴訟の勝利は、ブラジルだけでなく、他国の在外被爆者へも道を開くものと言える。在ブラジル原爆被爆者協会の森田隆会長(82)は、「ブラジルだけでなく、他国の在外被爆者全体にとっての福音。いっしょに戦ってきた仲間、支援者、弁護士の方たちに感謝したい」と喜びを語った。
同訴訟は二〇〇二年、被爆者援護法に基づく健康管理手当の支給が日本出国を理由に打ち切られたことを不服として起こされたもの。当初の原告は森田会長をはじめ十人だったが、〇四年に一部が取り下げ。その後は向井昭治さん、細川照男さん、堀岡貢さんが訴訟を継続していた。
広島地裁の一審判決(〇四年)は県側の勝訴、二審の広島高裁判決では被爆者側が勝訴し、県が上告していた。
五年にわたる訴訟の勝利。判決によれば、三人はいずれも広島市で被爆し、ブラジルに移住。九四年~九五年に一時帰国して手当の受給資格を得て帰伯。これに対して、「海外在住の被爆者は手当受給権を失う」とした一九七四年の厚生省(当時)公衆衛生局長402号通達に基づき、支給が打ち切られた。
同通達は〇三年に廃止され、海外在住被爆者にも手当が支給されることになった。広島県は三人に対し未払い分を支払ったが、地方自治法が規定する請求権の時効(五年間)が適用されるとして、その時点で五年を経過していた九七年以前の分については支払わず、三人が未払い分約二百九十万円の支払いを求めて提訴していた。
藤田裁判長は判決で、七四年の厚生省通達を「被爆者援護法の解釈を誤った違法なもの」と認定。広島県の手続に対し「それ(通達)に沿った事務取扱いに法令上の根拠はない」と述べた。そして「時効の主張は特別な事情がない限り、審議誠実の原則に反し、許されない」として、県の上告を棄却した。
「待ちに待った喜び」
惜しまれる向井さんの死
被爆者協会の森田会長はニッケイ新聞の取材に「恩恵をこうむることなく、今までに亡くなった被爆者を思うと胸が痛みます」とする一方、「厚生省の402号通達が違法と認められたことは待ちに待った喜び。本当に良かった」と喜びを表わした。
原告の一人で被爆者協会副会長の向井さんは昨年十二月、判決を待たず七十九歳で亡くなった。森田会長は「(協会設立の)最初からの仲間だった。もう六十一年。もう少し早くしてもらえていればと残念でなりません」と声を落とす。
判決に先立つ今月三日、協会関係者や来伯した訴訟担当の足立修一弁護士とともに向井さんの墓を訪れ、勝訴確定の見通しを報告したという。「もう少し生きてほしかった。これからも手をつなぎ要望していく、と伝えました」と森田さん。「今日の喜びを生きた姿で見てほしかった」と話した。
二十三年前の八三年に二十七人の会員で発足した被爆者協会。最も多い時期で二四十人の会員を数えたが、現在は百三十五人。平均年齢は七十三歳と、高齢化が進んでいる。
今回の最高裁判断は、ブラジルだけでなく、他国に住む在外被爆者にとっても新しい道を開いた判決と言える。森田会長は「近く会合をもち今後のことを検討していきたい」と見通しを語った。
原告の細川照男さん(79)は「支援者の方や森田さん(被爆者協会長)の後押しのおかげ。感謝したい」と喜びを語るとともに、「生きている間に判決が出ていれば」と、向井さんの死を悼んだ。
その反面「最高裁判決はうれしいが、当たり前の事」とも話す。「日本国民として国や県を相手に訴訟を起こすのは、するもんじゃないが、しかたがないこと。今も日本の国籍を持って住んでいる我々の生命や自由が、日本国内に住む人と同じでなければ平等ではないと思う」。そして今回の判決。「これ以後の問題で、在外被爆者に対する政府や県の見方が良い方向になれば」と期待を表わした。