2007年2月9日付け
ロンドリーナに在住の鈴木清美さん(60、二世)は、南米大会で十二個のメダルを獲得しているアスリート(陸上競技選手)だ。十歳のときにコロニアでの大会へ出たのを皮切りにしてその才能を伸ばし、槍投げの選手として、ブラジル代表で世界大会に出場。現在でも、シニア部門で槍投げ、砲丸投げ、円盤投げに勤しんでいる。
「いつもスポーツが好きだったから今まで続けてきた」と清美さん。日々の練習は、今では習慣のようなものだ。
清美さんは、笠戸丸移民唯一の生き残りだった中川トミさん(昨年十月に死去、享年百歳)の五女。
「母(トミさん)もスポーツが好きで、よく運動会に出てました」。特に父親中川正さんが運動が得意だったという。
本格的にスポーツをやるようになったのは十歳のとき。一九五九年、十三歳でパラナオープン大会に、成人の部で出場した。
「父に『優勝したなら、記録が落ちないように』とよく言われて毎日練習してました」。六五年、槍投げの選手として南米大会で見事優勝を果たした。六八年にはブラジル代表として、日本で行われた世界大会に出場し、七三年には南米大会で二度目の優勝を飾った。
「私はスポーツだけをしてたわけではないから。縫い物も編物もやってたし、父も母もスポーツをやることには賛成でしたね」。
清美さんが出場する大会はサンパウロやリオ、ミナスでの開催と自宅から遠いので、家族は「あまり見に来なかった」が、運動会が大好きなトミさんは毎年一緒に参加し、昨年も「一日中いて、私が走るのを見てました」と清美さんは振り返った。
清美さんは、五十歳を過ぎてから南米大会のシニア部門に参加するようになり、これまで、槍投げで三回、円盤投げで三回、砲丸投げでは出場した四回全てで、優勝している。
「年齢にもよるけど、健康を保つためにはある程度の運動が必要。機敏性や柔軟性はそれぞれだけど、動くことはコレステロールを下げるし、良くないものを取り除いてくれる」。
「私は母と同じで、骨も丈夫。四十年以上続けているけど、大きなケガをしたことはない」と清美さん。毎日筋力トレーニングをする傍ら、家事や孫と過ごすことに時間を割き、毎週土曜日にはソフトボールチームに参加している。
家にはほとんどいない生活。「ずっとスポーツをやってきたし、医者が、やめない方が健康的だって言うの」。清美さんは百大会以上に出場し、家には所狭しとトロフィーが並んでいる。メダルは七百を超えるという。