ホーム | 日系社会ニュース | 元隆涛の化粧まわしと〃対面〃=息子の優陽くん、移民史料館で=祖父の招きで里帰り=空路一人旅「怖くなかった」

元隆涛の化粧まわしと〃対面〃=息子の優陽くん、移民史料館で=祖父の招きで里帰り=空路一人旅「怖くなかった」

2007年2月13日付け

 「いまのお父さんとかわらないよ」―。ブラジル日系人で初めての関取となった隆濤(本名・池森ルイス剛さん)の長男、優陽(ゆうひ)くん六歳がこのほど、日系航空会社のサービスをつかって一人で来伯、十日、父・剛さんの化粧まわしと写真が展示されている文協ビル内の移民史料館を訪れた。
 「飛行機は一人でも怖くなかったよ」。優陽くんが今回ブラジルにやってきたのは、祖父・池森ルイスさんへの「プレゼント」だ。サンパウロ市に住むルイスさんは、孫・優陽くんと五年ぶりの再会。優陽くんが小学校に入学するまでの間、ブラジルの家族と過ごしてほしいという剛さんの思いから、今回の訪伯となった。
 「とにかく自分に自信があって、なんでも一人でやろうとする子でした」。ルイスさんの説明によれば、父・剛さんは子どもの時から柔道に打ち込み、十六歳で相撲を始めた。体格にも恵まれ、剛さんがブラジル時代に獲得した「大会のメダル数は三百を超える」。
 その後、日本で開かれた国際相撲選手権大会で優勝して自信をつけた剛さんは、一九八九年、日本へ渡り拓殖大学に入学。一年生のときに全国学生相撲のチャンピンに輝いた。
 「勉強が難しくなっていった」二年生のときに大学を退学し、大相撲の扉をたたいて玉ノ井部屋に入門。ブラジル人力士では初の十両力士になるなど活躍したが、腕を骨折するなどして一九九六年に引退した。
 その後、剛さんは日本人一世の女性と結婚。優陽くんを含めて三人の子どもに恵まれ、東京にある一般企業で働いているという。
 「本人は最低でも大関まではいくって話していたんですよ」。ルイスさんは剛さんの断髪式の日を思い出しながら語ってくれた。
 剛さんの写真を見ていた優陽くんに相撲をやらないのかと聞いてみると、「お父さんみたくケガするのが怖いからやりたくない」と返ってきた。「右腕が反対に曲がるように折れた」話を聞いたのが、強く印象にのこったようだ。「剛は優陽に柔道を勧めているみたいだけど、ケガの話が怖くて嫌みたいだね」。
 そんな優陽くんの夢は「恐竜博士」。剛さんと一緒に恐竜の博物館に行って以来、夢中になっているという。学習塾に通いながら、仲のいい友だちとサッカーをする日々。「走るのが好き、ドッジボールでは一番強いんだ」。
 同史料館には、剛さんが学生相撲選手権大会で優勝した記念品、境大浜記念刀が保管されている。優陽くんはその刀を手にとって写真をとった。「重たいや」。この日で一番いい笑顔がみえた。
 日本とブラジルの二重国籍、父系から数えれば日系四世の優陽くん。ポルトガル語はほとんどわからないが、来月九日まで父のふるさと、ブラジルの空気を思いっきり吸って帰国する予定だ。