2007年2月23日付け
「日系社会からの支援には大変感謝している」。二十二日付け官報で、斉藤準一空軍大将(二世、64)が空軍トップの総司令官に指名されたことが正式に公表された。二十八日にブラジリアで就任式が行われ、ワウジール・ピーレス国防大臣のもと、空軍予算の約九十億レアル(約五千二百六十一億円)を司る日系最高の軍要職に就任する。
ニッケイ新聞の電話取材に答え、斉藤大将は二十二日に秘書官を通じて、「最も栄誉ある機関の総司令官に指名され、日系社会の代表して、とても光栄だと思っている。日系社会に一員であることを大変誇りに思っている。みなさんからの支援に感謝したい」とのコメントを寄せた。
サンパウロ州ポンペイア市生まれの日系二世で、父は斉藤イワタロウさん(青森県出身)、母は斉藤タマオキ・トシコさん(香川県出身)で二人とも故人。六人兄弟の長男。
先週末に電話で直接話したばかりという、サンタカタリーナ州のラモス移住地の山本和憲会長によれば、斉藤大将は大変日本語が堪能だという。「今年も移住地から特産の梨を贈ろうと電話したんですが、会議を中断してわざわざ応対してくれました。本当にきさくな方です」と山本会長はいう。
最初のキッカケは、斉藤氏が九九年から〇三年まで務めていた第五航空方面隊(V COMAR)の司令官時代に、梨をプレゼントに行ったこと。同移住地および近隣のクリチバーノスには、〇一年の運動会以来、梨狩りや桜祭りなどの折りに四回も訪れているという。
山本会長は電話の向こうで、「空軍トップに就任され、移住地のみんなも自分のことのように喜んでいます」と声を弾ませる。
ジョルナル・ド・ブラジル二十日付けによれば、斉藤大将は「七歳の時まで、ポンペイア日系社会でポルトガル語をしゃべらない生活を送っていた」という。
ポンペイア文協の須賀得司会長も「ポンペイアの誉れです。当地の日系社会一同喜んでいます」と語った。斉藤大将がいた四〇年代後半から五〇年代は同地の日系社会全盛期で二千家族からいた。「その後、多くは子供の勉学や仕事のためにサンパウロや他の町に移っていった」という。
ブラジル日本文化福祉協会の上原幸啓会長も「来年の百周年にむけて、とても大きな弾み。このような重責を担う二世が生まれたことに大変な誇りを感じる」と喜んだ。
昨年二月に行われた祝賀会で本紙の取材に答え、斉藤大将は「両親が生きていたら、このようなオメナージェンを一番喜んでくれたに違いない」と語っていた。小さい頃は、長男として父親が営んでいた農業や木工所を継ぐのかと思ったが、学業を続けることができた。一九六〇年にミナス州バルバセーナ市の東山銀行で働きながら、空軍士官学校へ通い始めた。
昨年の航空機激突事故以来始まった空港管制官ストなどの各地空港の危機的な状況を解決する重責を担い、斉藤大将は首都ブラジリアで新しい任務を始める。