2007年3月2日付け
現存する「最古の日本人移民」にJICA横浜海外移住資料館が興味を示したようだ。本紙が独自に調べたり、読者に情報提供を求めたりして、探した「大原綾子さん」(一二年着伯、厳島丸移民、百歳)が、乗船者名簿にない、と疑問を提示したのだった▼こういうことがなければ、綾子さんの「最古」は、興味を持たれなかったかもしれない。綾子さんは名簿になかったのではない。ほかの家族の一員としてちゃんと船に乗っていた▼次に、その家族の名簿に、綾子さんによれば、乗っていたはずの家長の甥の名がなかった。当時一歳の赤ん坊にその構成家族のことがわかるはずはないのだが、長じてから教えられ、記憶に留めたのであろう。私たちは今度は甥の名がなかったことに興味を持った。この甥だって、間違いなく乗船はしていたのだ▼推察すれば、初期移民の名簿など、あいまい、ずさんであった。構成家族の労働力を年齢別に数字にし、その合計が規定の数字に達していれば、移民家族として〃合格〃であった▼今度の最古移民探しで痛感したのは、情報提供してくれた人たちの記憶の不確かさである。「(厳島丸の前の船)旅順丸移民がいます」という電話をもらったあと、確認したら船や着港年が違っていたりした。まだ情報提供者がいるうちは張りあいがある。近い将来、最古にも関心が薄れ、証言者もいなくなるだろう。情報提供を求め、記事にする邦字紙は、その意味で移民百周年時点における〃記録者〃だと思う。(神)