2007年3月3日付け
【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】中央銀行の通貨政策が痛烈な批判を浴びる中、ルーラ大統領は一日、経済スタッフの変更はないと発表した。これでマンテガ財務相とメイレーレス中銀総裁、ベルナルド予算管理相の留任が決まった。記者会見に臨んだ大統領は、二〇一〇年の第三次政権への再出馬が不透明で実現性もないと否定的意向を表明した。もしもそのようなことがあれば、民主主義の冒とくであると述べた。経済スタッフの留任が決まったが、中銀のベヴィラックア経済政策局長は〇六年度経済成長率の発表後、保守的な通貨政策の責任をとって辞表を提出した。
ルーラ政権は、借金で首が回らなくなった小さな子供連れの未亡人を引き取ったようなもの。ただ男には去ってもらったという。ブラジルは共和制以来、経済の基盤がいつも脆弱であったと大統領は述べた。ブラジル地理統計院(IBGE)発表の通り、経済成長率は予想を下回った。
国際的な金融危機に耐えられるような外貨準備高を築いたのは、労働者党(PT)政権が初めてと自画自賛。大統領は〇四年にインドを訪問したとき、インドの外貨準備高が一〇〇〇億ドルと聞き、ブラジルもいつそうなれるか夢に見たという。今は、それがかなった記念すべき時という。
経済成長率は二・九%と低いが、ブラジルは正しい道を歩んでいると大統領は語った。JK(クビチェック大統領)時代と軍政時代の二十年、ブラジルは豊かになったが、庶民は貧しかった。それがPTへ政権が移ってから、庶民も豊かになり始めた。
ブラジルは家賃を払って借家住まいをするより、小さく狭くてもマイホームに入る。ルーラ大統領は、一〇〇レアルの家賃を払ってモイニョ・ヴェーリョで新婚生活を始めた。苦心の末、パルケ・ブリストールに寝室兼台所の一軒のマイホームを購入した。これが投資である。経済活性化法案(PAC)は、第一次政権で上程すべきであった。第二次政権に回したため、PACは将来の夢になってしまった。
経済の低迷が犯罪の温床をつくる遠因だということで、企業に率先的協力を求めるのが大統領の考えだ。若年単純労働者の採用は企業の労働力だけでなく、犯罪防止への協力にもなる。学歴も技術もない未成年者にとって、社会参加のきっかけは人生行路の船出だ。きっかけをつかめば、あとは自分の努力で道を開いてゆく。
悪の道に染まり身を滅ぼす未成年者も一部にいるが、多くは貧しくても健全な精神を持ち、自助努力の意欲が旺盛である。学校教育はエリートコースだけが能ではない。広く門戸を開く私立校へも奨学制度を強化し、財政難や経営難を緩和する計画だという。
ブラジルは学びながら、教える国である。ペトロブラスは、エタノールのグローバル・マーケットを創設し、先駆者の役を引き受ける構想がある。ちょうど良いときにブッシュ米大統領が訪伯するので、この機会に実現を期待している。トウモロコシは鶏に与え、エタノールはブラジルに任しておくべきであると大統領は語った。