2007年3月7日付け
援協の和井武一名誉会長が死去した。享年九十三。援協の会長にはこれまで、節目ふしめの経営にぴったり〃合った〃会長が就任した。和井さんの場合、コロニアからのまとまった資金集めがいよいよ困難になったころに登場した▼人脈づくりの上手な人だった。表向きはひょうひょうとした感じで、関西人らしく、自分の会社と援協の経営の状況をたずねられると、「泣き」をみせるところがあったが、必要に際ししっかりと資金を調達してきた▼コロニアには、「お義理広告」というか、つきあい広告がある。例えば、会社の宣伝のためにお金をかける必要がないのに、自身の地位とかを考慮して付き合う広告のことだ。和井さんは、わりとこうした広告を断ったほうではないか。万事、はっきりことを分けた人だったと思う▼援協の役員としては、かなり遅い中高年からのスタートだった。だから、はじめ戦前移民かと思ったが、そうではなかった。よく知られていたように、戦後の初期の移民である。着伯三年後には輸入販売会社を設立した実業人だった▼援協は、まだまだ一世理事が多く、役員たちが手弁当で働き、そのことを名誉とする事業体である。その気風は他団体より強固だ。できることなら継承していきたい。「会議費」などが計上されるようになると変わる▼近く役員、役付き常任理事の選挙がある。人柄がにじみ出る指導力のあるトップを選んで欲しい(神)
(二日付「樹海」大原綾子さんの渡航年齢一歳は誤り、三歳でした)