2007年3月22日付け
「妻との約束を果たしたい」――。十二万人に一人の割合で発症するという難病、「多発性硬化症」で妻を亡くしたのをきっかけに、世界各地を旅する後藤實久さん(65)=滋賀県大津市在住=がこのほど、約一週間の滞聖を終え、アマゾンへ向かった。後藤さんは〇一年から、妻が生前求めていた世界各地の美景を訪ねている。そして旅での一期一会を心がけ、世界中の青年たちと交流する〃巡礼〃の日々を続けている。後藤さんに話を聞いた。
「ブラジルの自由な雰囲気はかわっていないですね」――。後藤さんは一九六四年、二十二歳のとき、サンパウロ日伯援護協会の設立などに尽力した細江静男氏らの「ボーイスカウト移民」の指名呼び寄せで、ブラジルに一年間滞在した。今回の滞伯は、二十二年前に再訪して以来だ。
ボーイスカウト移民としての一年間、後藤さんはサンパウロ州カンポス・ド・ジョルドン市のバウー岩塊近くにある農場で、牛の飼育法などを学んだ。移住にあたり、マス(鱒)の養殖技術を同市に広めることにも尽力した。
「当初はアルゼンチンから鱒の稚魚を持ってきました。その後、私は日本に戻りましたが、今ではカンポス市の名産がマスと聞いて驚きました。当時の苦労を振り返ると、ほんと感慨深いものがありますね」。
『星の巡礼』――。後藤さんは感銘を受けたブラジル人作家の著書の題名にちなみ、自身の旅をそう表現する。同書は世界的に有名なブラジル人作家、パウロ・コエーリョの処女作で、スペイン北西部のカトリックの聖地を訪ねる精神世界を描いた作品だ。
後藤さんの妻は一九九九年、運動麻痺や知覚異常が伴う難病、「多発性硬化症」で亡くなった。「病気がよくなったら世界中の美しい場所を訪れたい」。妻は闘病中、そう何度も夫に語りかけた。
後藤さんは妻の想いを引き継いで〇一年に、ネパール、カトマンズから旅を始め、妻が憧れたエベレストなど雄大な山々を訪れた。
東西文化の交流地、トルコのイスタンブールの川では遺言どおり、線香を焚いて妻の遺骨を小舟の上から散骨した。その後は北欧、中欧各国、中東を訪れたあと東アフリカを縦断した。そこでアフリカ最高峰のキリマンジャロを登頂した。
この間、何度か日本と外国を往来し、今年一月に南米ペルーから旅をはじめた。ボリビア、チリ、アルゼンチン、ウルグアイと南米各地を訪れ、三月十三日にブラジルに入国した。
「妻に見せましたよ」。後藤さんに各地の思い出を振り返ってもらうと、まっすぐな眼差しでそう口を開く。亡き妻の写真と一緒にこれまでに約百二十カ国を訪れた。一人の旅ではけっしてないという。
後藤さんは、二十代に京都造形芸術大学の設立などに関わった後、三十一歳で新天地をアメリカに求めた。そこで二十二年間、セラミック加工技術を研究するとともに、ハリウッド俳優の役作りを手掛けた。いまでもオノ・ヨーコ氏らの著名人と親交が深いという。
旅の最終地点は北上してアラスカだ。その前にカナダの大河、ユーコン川をカヌーで下る。「私の『星の巡礼』はそこで終わる予定です」。後藤さんは笑顔でそう話した。