2007年3月28日付け
郷土を代表する記録文学作家、上野英信没後二十周年を記念して、その縁の地であるブラジルの炭鉱移民を取材に、西日本新聞=本社・福岡県=の東京支社報道部記者の内門(うちかど)博さん(36)が来伯した。山口県から九州全域をカバーするブロック紙である同紙独自の海外研修制度の一環だ。
上野は山口県に生まれ、京都大学中国哲学科中退後、九州で自ら炭鉱労働者として働きながら抗夫たちの生き様を記録に残すことに一生を捧げた。
一九七四年三月から九月まで、ブラジルを中心にボリビア、パラグアイ、アルゼンチに元炭鉱労働者を訪ねて取材した。上野は「草の根をかきわけてでも一人残らず」との決心で、約二百日の間に約百五十人を訪ね、『出ニッポン記』(1977)に記した。炭鉱移住者をテーマにした移民記録の金字塔だ。
今回、内門さんは二十二日に着伯し、上野が取材したベレンへ最初に向かった。三人ほど取材し、「良い意味で前向きな人が多いと感じた」との印象をえた。「日本の日本人よりも物言いがストレート」だと感じ、「むしろ、そういう人が残ったのでは」とも思った。
サンパウロを二十八日に立って、カンポ・グランデへ。山口県からの炭鉱離職者の多いバルゼア・アレグレ植民地などを取材するためだ。
その後、パラグアイのピラポへ寄り、四月六日に帰路に付く。「日本に戻った人にも取材したい。そうしないと完結しない」と感じている。最後に「百周年に向けて何かできればいいと思っています」と頼もしい一言をのべた。