2007年4月10日付け
「読者に、その国のことを知ってもらいたい」。四十三年間という長いときを日本で過ごし、出版社「新世研」を設立した非日系ブラジル人、マウリシオ・クレスポさん(69)。ブラジル文学を日本へ紹介することから始めて、今では世界各国の絵本を扱っている。「日本の絵本(業界)の程度は本当に高い。自分で本を出す(出版する)までに二十年かかりましたよ」。クレスポさんの日本での滞在、世界を股に駆けた活躍を追った。
クレスポさんがこれまでに出版した本は、七百冊以上。日本、ブラジルから、東南アジア、ヨーロッパまでまわり、タイ、イラン、スウェーデン、中国など世界中の絵本を日本語、ポルトガル語、スペイン語、英語で紹介している。
「日本的なものってあるでしょう。それをいかに、自然な表現でほかの言葉にするか。文字を翻訳するんじゃないんですよ」。クレスポさんは、自身がこだわる「絵本の世界」を説明する。「私は必ず、その国(原作の国)の絵描きを使います。その国の人じゃなきゃ表現できない雰囲気があるでしょう」。
メキシコ、イタリア、フランスなど世界規模のブックフェア―への出展、ブラジル国内の大学でのイベント参加など、忙しい毎日を過ごすクレスポさんだが、その活動の原点は、日本だ。
一九六二年、クレスポさんはブラジル外務省の派遣教員として渡日した。「移民船が来ていたころで、ぶらじる丸に乗って四十一日間、日本に渡りました」。
その後、東京外国語大学ポルトガル語学科専任外国人教師や、NHKブラジル向け短波放送の担当者を、それぞれ十年間ほど務め、七八年、九三年には、今上天皇が来伯する前に、ポルトガル語のご進講も行っている。
「いい本を訳しているうちに出版するということになって。それから、我々(ブラジル)の文化をもっと日本に紹介したいと思って。それで絵が必要だということになりました」。クレスポさんが日本で出版事業を始めたのは一九六八年、七九年の国連国際児童年を機に、絵本を扱うことを決めた。
「日本の絵本の程度は本当に高い。漫画ではなくて本物の絵を使うしね。なかなか簡単には、あーゆういい作品は作れなかったんですよ」。
ブラジルやイベリア半島から絵本を輸入することから始め、「日本は結構、外国語の本を買ってくれるんですよ」。営業で全国の図書館を廻るうちに、子供相手のお話会を、図書館や市民センターで開催するようになり、ブラジルの文化を紹介して歩いた。
「少しずつ会社にも余裕が生まれて、人との付き合いもできた。自分の勉強にもなって、絵本の世界も分かるようになってきた」。九〇年代になり、ようやく、独自の本を出版できるようになった。
「すばらしいもの、人のまねでないことをやりたかった。これからは、フランス語やアラブ語でも本を作っていきたいと思ってます。多文化の本を取り上げて、いくつかの言語で紹介する。それが私のやってることですよ」。
クレスポさんの事務所=リベルダーデ地区サンジョアキン街443。電話=11・3277・1009。