2007年4月10日付け
「日本に行ってよかったですよ。でも、日本人になろうと思ったことは一度もないですね。『自分はブラジル人だ』という意識が強い」。
一九六二年、二十二歳のときにぶらじる丸で渡日、以後二〇〇四年までを日本で過ごしたクレスポさんは、当時日本から渡った移民と逆の人生を送ったとも考えられる。
「六四年の革命の時には帰るかどうか悩みましたね…」と振り返りながら、すっきりした面持ちで「どの国も生きている限り変わります。ポルトガル語にもピンと来なくなってしまいました。自分が失ったのは何でしょうか。出身地意識とでもいうのでしょうか」。
「我々(ブラジル)の文化を紹介したい」とクレスポさんが始めた翻訳や絵本出版事業と、「日本は形式を重んずる国で…」と満足げに報告する笑顔が、コロニアで聞く話と対(たい)になっている気がした。(稲)