2007年4月25日付け
【ヴェージャ誌二〇〇三号】三月三十日の航空管制官の反乱で首謀者の容疑をかけられたエジレウゾ・S・カヴァウカンテ士官(38)は、姿をくらまし所在を隠している。同士官は全国の管制官へEメールを二五〇回にわたり発信し、反乱を画策したと空軍上層部はみている。
同士官は労組の支援のもとに管制官をそそのかす習癖があるとして、ブラジリア空港からリオ・グランデ・ド・スル州のサンタマリア空港へ左遷された。同士官は十八日、サッカーで右足を骨折し治療休暇をもらっていた。休暇中も、Eメールの発信に専心していた。
反乱の三十日前夜、全国の空港管制センターへ一斉蜂起を促した。特にクイアバとマナウス空港には、同士官士官自身が出向いて反乱を指揮した。同誌記者が会見を申し込んだが、軍規で禁じられているとコメントを拒否した。
同士官は、航空管制のエリート空軍士官として十九年の経歴がある。高度一万四五〇〇フィート以下の航空管制業務のほかに、管制センター主任や教官も兼任していた。大工の父とともにピアウイ州からトラックにぶら下がって、ブラジリアへ流れてきた。
男兄弟が三人いるが、他の二人は無学で定職がない。給料は二六〇〇レアル、医院で受付けをする女性と結婚し、首都のスラム街セイランジアに住んでいる。空軍から追放されたら、教師で生計をたてるつもりだ。子供の日には同士官のスポンサーで子供祭りが行われ、地域の人気者である。